ひさびさに読書記など(長文)
2005年1月14日いま、「どくしょき」を変換したら最初に出た漢字が「毒初期」でした。使う人によって変換にクセが出るとはこのことか。
○最近の人(おもに若い人)の、めったやたらなワタシ主義
○おもに子ども〜若い人の人間関係の築き方
○ネットコミュニケーション
○恋愛において男の子を誘い、依存する最近の女の子たち
○優しすぎるとかアホになったとか揶揄されてる最近の男の子たち
○純愛ブーム
…こんなことに今興味があります。考えながら列記してみました。
で、興味があることにタイムリーな本を2冊読みました。その内容を切り口にして書きます。
☆「じぶん」を愛するということ
香山リカ著。私には、ちょっとスノッブな感じの精神科医っていうイメージがあります。
世の中、「本当の自分」を知りたい人がわんさかわんさかいるようです。それもバブル崩壊後になってから。
著者は鋭く突っ込んでます。本当の自分ってのは、理想の自分を言い換えただけじゃん!ダークな意味での本当の自分には目をそむけてるじゃん!って。この部分、目からうろこが落ちました。
自分を大事にすることが短絡的に解釈された結果としての、過剰な「自己愛」人間の増加。
子どもは幼児期に周囲の大人に過剰なまでにほめられながら育ちますが(そしてそれが望ましい育て方でもありますが)、その時点での「私ってすごいんだぞ!」という意識を大人になってももちつづけ、さらにはそれが公の場でも通用すると思ってる若い子たち。客観的に見たら「はぁ?」とか言われながら一笑に付されそうですが、そんな形で軽視されるとと今度は傷ついてしまう。傷つくってのも笑えちゃうけど本人は大マジメ。
いま、そんな人がすっごく増えてます。なぜ増えてるんでしょう?…それは、この本に載っていますよ。
インターネット個人サイトが普及し、パソコンさえ持っていれば自分らしさを言葉でどんどん表現できるようになりました。みんな、自分だけの個性を主張します。でも、「個」としての自分が強調されていくことと伴って、一人一人が閉じた自分の世界でのみ表現をしていきます。他人との交流ってのもあんまり見かけませんね。彼らを客観的に見たら、そんな大した自己主張じゃない。特別な個性でもない。でも、「個」の価値観においては他人と比較はしないから、そういう中で一様に「特別な自分」が温存され、PRされていきます。ここのサイトだって個人HPですから、私にもそういう部分があると思います。こう考えると、個人サイトでの自己主張も「本当の自分探し=なりたい自己の表出」の手段なのかもしれませんね。
で、若い人の人間関係と個性のとらえ方について。岩波ブックレットで面白い本がありました。
☆個性を煽られる子どもたち
前半は最近の子どもの人間関係について、後半は題名にもある「個性」について述べられています。
感じている人も多いと思いますが、最近の子どもや若い人たちは自分の周りの友人に最も気を遣い、不特定の他人に対しては「いないもの」に等しいぐらい無頓着なことが多いそうです。オヤジ狩りをやって捕まった後、自分がボコボコにした被害者よりも逃走中にちょっとけがをさせた共犯の子に対して異常なまでに気を遣い、その子が無事かどうか心配ばかりしていた子の話が例にのっていました。「被害者は知らない人だから、ボコボコにされようが死のうが自分にはぴんと来ない」というのがその子の本音なのかもしれません。で、これも予想はつきますけど、いつも一緒にいるということが何でも言いあえる関係というわけではなく、仲よしグループの中で外されないように常に緊張しあってる関係といったほうが近いんですよね。いまの子。
「個性」のとらえ方っていうのも、昔と今では違います。以前個性は人間関係の中で育むものであったのですが、今の感覚だと個性は生まれたときから備わっているものととらえられているようです。そうなると、人づき合いの中で自分の個性がつくられていくというのは逆で「人づき合いによって素の自分を出せなくなり、個性が失われていく」ってことになっちゃいます。
待てよ。今の子は日常の友だちづき合いで既に気を遣ってるっていうじゃない。じゃあ、最初から見込みないじゃない!かなしいー。
そうなると、人望があってなおかつ自己主張がきちんとできる、そしてなおかつ「作ったキャラじゃない」人が若い人たちの目標やあこがれとなります。自分をブランドとしながら、ホントの自分はこうじゃない、傷つかないで自分を出していけたら、というような共感される歌詞を提供する浜崎あゆみが支持されるわけですよね。若い人の感性にぴったんこだもん。でも、浜崎あゆみの場合は幼少時に苦労してることがいまの個性に大きくつながってるような気がするんですけど。
うーん。個性って何だろう。生まれつきのものを個性として優先させていった先にある社会は、なんか動物的でコワイ気がする。
いろんな世代の人に「友だちって何?」「個性って何?」と答えを求めてみると、面白いかもしれません。
○最近の人(おもに若い人)の、めったやたらなワタシ主義
○おもに子ども〜若い人の人間関係の築き方
○ネットコミュニケーション
○恋愛において男の子を誘い、依存する最近の女の子たち
○優しすぎるとかアホになったとか揶揄されてる最近の男の子たち
○純愛ブーム
…こんなことに今興味があります。考えながら列記してみました。
で、興味があることにタイムリーな本を2冊読みました。その内容を切り口にして書きます。
☆「じぶん」を愛するということ
香山リカ著。私には、ちょっとスノッブな感じの精神科医っていうイメージがあります。
世の中、「本当の自分」を知りたい人がわんさかわんさかいるようです。それもバブル崩壊後になってから。
著者は鋭く突っ込んでます。本当の自分ってのは、理想の自分を言い換えただけじゃん!ダークな意味での本当の自分には目をそむけてるじゃん!って。この部分、目からうろこが落ちました。
自分を大事にすることが短絡的に解釈された結果としての、過剰な「自己愛」人間の増加。
子どもは幼児期に周囲の大人に過剰なまでにほめられながら育ちますが(そしてそれが望ましい育て方でもありますが)、その時点での「私ってすごいんだぞ!」という意識を大人になってももちつづけ、さらにはそれが公の場でも通用すると思ってる若い子たち。客観的に見たら「はぁ?」とか言われながら一笑に付されそうですが、そんな形で軽視されるとと今度は傷ついてしまう。傷つくってのも笑えちゃうけど本人は大マジメ。
いま、そんな人がすっごく増えてます。なぜ増えてるんでしょう?…それは、この本に載っていますよ。
インターネット個人サイトが普及し、パソコンさえ持っていれば自分らしさを言葉でどんどん表現できるようになりました。みんな、自分だけの個性を主張します。でも、「個」としての自分が強調されていくことと伴って、一人一人が閉じた自分の世界でのみ表現をしていきます。他人との交流ってのもあんまり見かけませんね。彼らを客観的に見たら、そんな大した自己主張じゃない。特別な個性でもない。でも、「個」の価値観においては他人と比較はしないから、そういう中で一様に「特別な自分」が温存され、PRされていきます。ここのサイトだって個人HPですから、私にもそういう部分があると思います。こう考えると、個人サイトでの自己主張も「本当の自分探し=なりたい自己の表出」の手段なのかもしれませんね。
で、若い人の人間関係と個性のとらえ方について。岩波ブックレットで面白い本がありました。
☆個性を煽られる子どもたち
前半は最近の子どもの人間関係について、後半は題名にもある「個性」について述べられています。
感じている人も多いと思いますが、最近の子どもや若い人たちは自分の周りの友人に最も気を遣い、不特定の他人に対しては「いないもの」に等しいぐらい無頓着なことが多いそうです。オヤジ狩りをやって捕まった後、自分がボコボコにした被害者よりも逃走中にちょっとけがをさせた共犯の子に対して異常なまでに気を遣い、その子が無事かどうか心配ばかりしていた子の話が例にのっていました。「被害者は知らない人だから、ボコボコにされようが死のうが自分にはぴんと来ない」というのがその子の本音なのかもしれません。で、これも予想はつきますけど、いつも一緒にいるということが何でも言いあえる関係というわけではなく、仲よしグループの中で外されないように常に緊張しあってる関係といったほうが近いんですよね。いまの子。
「個性」のとらえ方っていうのも、昔と今では違います。以前個性は人間関係の中で育むものであったのですが、今の感覚だと個性は生まれたときから備わっているものととらえられているようです。そうなると、人づき合いの中で自分の個性がつくられていくというのは逆で「人づき合いによって素の自分を出せなくなり、個性が失われていく」ってことになっちゃいます。
待てよ。今の子は日常の友だちづき合いで既に気を遣ってるっていうじゃない。じゃあ、最初から見込みないじゃない!かなしいー。
そうなると、人望があってなおかつ自己主張がきちんとできる、そしてなおかつ「作ったキャラじゃない」人が若い人たちの目標やあこがれとなります。自分をブランドとしながら、ホントの自分はこうじゃない、傷つかないで自分を出していけたら、というような共感される歌詞を提供する浜崎あゆみが支持されるわけですよね。若い人の感性にぴったんこだもん。でも、浜崎あゆみの場合は幼少時に苦労してることがいまの個性に大きくつながってるような気がするんですけど。
うーん。個性って何だろう。生まれつきのものを個性として優先させていった先にある社会は、なんか動物的でコワイ気がする。
いろんな世代の人に「友だちって何?」「個性って何?」と答えを求めてみると、面白いかもしれません。
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