ふと、昨年のバレンタインデーの頃はどんなことを書いてたっけな、と思って
過去の日記を読み返してみました。

何がそうさせたのかわかりませんが、
ミエミエに理論武装をしながら、力みすぎてウンコをもらしそうなぐらいの文章を書いてました。ぼくちん。
しかも、そんな内容でいながらも「ですます調」で書いてないから(まぁそういう人はそんなもんですが)、「この女に近づきたくないなぁ」と自分でも思ってしまうぐらいの人です。飲んでしゃべったら面白そうだけど。

今の私は彼氏に「ずっといっしょにいようね」と言われて「うん♪よろしくおねがいします♪」と答えたりすることがありますが、
去年の思考回路でいくと「ずっとっていつまでだ?不確実な約束なんてするんぢゃねぇ!そんなことをする奴に限って平気で約束破るんじゃい!」とわめいてた可能性がありますね。
こんなことを言われたら彼はおそらく返り討ちドッヒャー気分でしょう。

この意識の変化には経過があるんですよ。
彼にとっても、冷め切った考えを理路整然と押し付けてくる相手は初めてだったらしいです。ケンカしてもあやまらないどころか、「どこが悪いのかわからない。」と毎回言い放っていました(こえー)。
おかげで何度も自分の非を責められました。
幾度となく「ともちゃんには思いやりがない!!」と怒られながら、私も考えました。
そうか。私には思いやりがないらしい。じゃあ、自分の頭の中にないことでも、とりあえず相手を考えた言葉を発してみよう。
たとえ自分の持論でも、それを押し付けて相手が怒ったり傷ついたりするのはイヤだなぁ。だって、私らの関係が悪くなるから。

自分の中できまりを考えました。
「ありがとう」と「ごめんなさい」は、感じたらその場で即座に言うこと。反対に、相手が言わなかったら、言わすこと。(笑)
もしも頭の中で「ごめんなさい」じゃなく、「あんただって悪い」と思ってても、「あなたを嫌な気分にさせてごめんなさい」の意味に置き換えてすぐにあやまること。

「ごめんなさい」は、「私が間違ってました。ごめんなさい」の意味だけではなく、「あなたを嫌な気分にさせてしまいました。ごめんなさい」の意味もあるんだ、と思うようになってから、相手にあやまることにだんだんと抵抗を感じなくなりました。
考えてみると、自分の考えが間違ってたー なんてことは、ケンカの中ですぐに気づくことではありません。相手の気持ちを理解しながら自分の気持ちを整理するなんてのはそれ相当の時間が必要。
考えてる間に、あやまるタイミングを逃してしまいます。
それに比べて、相手が機嫌悪そうってのはすぐにわかるサインですからね。すぐにあやまれます。
ケンカのときは双方の機嫌が悪くなるので、お互いにあやまることで仲直りの儀式とします。

で、この積み重ねで現在に至るわけですが、ごくごく基本的なことをなぞってるんですよね。これって。
まるで小学生の月別生活のめあてみたいです。(「おもいやりのこころをもとう」とか。笑)
多分ここで「小学生みたいなことやるなんてしゃらくせぇ!」と思ってたら、それ以上人間が成長することはないでしょうね。

「ともちゃん、変わったね」と時々言われます。
思いやりの訓練によって思いやりの言葉を発することができるようになってきたらしいです。
でも、表面的な思いやりの社会にはおぼれたくないですね。自分の持論を捨てたくもないですし。
だから、相手のことを考えながらそういうのを上手に伝える方法が身についたらいいんだろうなって思います。
考えをもつことも大事ですが、それを適切に伝えることも同じぐらい大事ですからね。

コメント