いま酒井順子さんの書き下ろしエッセイ「入れたり出したり」を
読んでいます。
さすが高校生の時からコラムを書いていただけのことはある。まったくもって日本語が巧みです。
時々言葉を知らないオレっちには難解な言い回しも出てくるので、日本語の勉強になります。
しかし一番の魅力は、その乾き切った世界観でしょうか(笑)。
愛だの恋だの色気だの、そういう雰囲気がこの人からは微塵も感じられません。
彼女の通ったあとには草も生えまい。げげー!!
尊敬しているにもかかわらずこんなことを言ってしまいました。

いや、なんていうの、ホラ、
自分をよく見せたいという、かわいい子だなとかちょっとおちゃめな女性なのねとか、あぁこいつってドジだなとか、そういう欲望がほとーんど感じられないのです。
のっけからウンコの話を淡々としてらっしゃいます。
モノがたまって捨てられない状態の家を「家便秘」とサラッと言っておいて、その言葉の可笑しさにしがみつくこともなく次の話題にひょいひょいと移ります。
そういうところに巧みさを感じているわけです。

彼女のような人がいる一方で、男受けはいいでしょうけどかわいさが丸見えの文章も、市中にはいっぱいあるわけです。
女としてプラスに見られるための計算っていうのかしら?
いやいや、計算というのも最近違和感を感じたりするんだけど。
女を感じさせる言い回しができる人ってのは普段からそういう人であることが多いですよね。
だからこれは、計算ではなく習性に近いなと。
モテようと計算してる時点であんたは乾いた側の人間ですよねと。そう感じたりするのです。

で、以前知り合い(男)に「あんたって、ほんとにドライな人だよね。」と皮肉タラタラに言われたことのある私としては、やはり乾いた人間なりの魅力を自分から引き出そうかと思っておるわけです。
そんなわけでお手本が酒井順子さん。
ワンワンと「負け犬の遠吠え」をして一発儲けたこの方は、恋のから騒ぎに出場する女性とは真逆のイメージを感じます。
文庫本の表紙カバーの裏に彼女の顔写真が載っていたのですが、淡々とした端正な顔立ちでした。
微笑むこともなく眉を整えることもなく、流行りの濡れ目メイクをすることもなく、自分自身だけで勝負してる気概を感じます。
いや、勝負とすら感じてないかも。
写真?いいですよ。はい。パシャ。ってな感じ。

読んでて大爆笑したコラムを彼に見せました。
だんだん眉間にしわが寄ってきて、読み終わって一言。
「つまらん。だから何?って感じ。」
あぁやっぱりこの人はメインストリームを突っ走る人で、ちょっとウェットな今時の人なのだなと感じた一瞬でありました。

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