化粧づく
2005年5月12日普段(=仕事のとき)は殆どノーメイクな人間です。眉だけ書いて出かけます。
今いる学校の教育補助員さんのナチュラルかわいいメイクを見て「あぁ、あんなにかわいく自然にできたらな」と思い、
週に1回来校される外部講師の方の大人っぽいコンサバなメイクを見て「あぁ、大人っぽい化粧って素敵だな」と思いながらも、
いざ自分が化粧するとなると、朝のあわただしい時間にそんなことやってられっかい!という面倒くさがりな意識が頭をもたげてきます。
それにそれに。
大学出たてで化粧オンチの頃に1回きちんとメイクをして出勤したことがあったのですが(文化祭の日でした。保護者がいっぱい来るし…と思って気合が入ってました 笑)、寄ってくる子ども数名に「先生、怖い!!」「先生、顔が変!!」等々言われたことが苦ーい思い出として残ってもいるので、「失敗するならやらない方がまし」という意識も依然としてあります。
しかし、最近にわか化粧フェチをやっていて気づいたことがあります。
丁寧にやればやるほど、やわらかなメイクになるんですね。
時間がないとつい、要所要所を重点的にやろうとして、出来上がった顔を見ると狙ったつもりのない厚化粧になってしまうんですよね。
ということで、化粧は時間があるときにやります。
今日は定時に退勤したので(大部分の職員が一斉の会合に出席するので、学校がカラになるから定時に出てね、って言われたのね)、突如時間ができました。
帰宅してから、フルメイクをして香水もつけて近所のスーパーへ買い物に行きました。やることが過剰。
しかも歩いてスーパーに向かう途中で自宅に米のストックがなかったことに気づき、買った米袋を下げてえっちらおっちら帰ってくるという結果になりました。
寄り道もできないや。
化粧が「非日常」の代名詞になっています。
今日は手の届く範囲で「非日常」を追い求めてみました。アハ。
余談
コンスタントに読んでる個人HPの日記に「最近充実しすぎて日記が書けません」という旨の記述があったのを読んで、プッと吹き出してしまいました。なにか、見てはいけないものを見てしまったような気がして(笑)。
結構多いですよね、この種の記述をする人。
適性という言葉が一瞬頭をよぎります。文章への適性ね。
胸のうちを日記に綴ることを心のよりどころにしている場合、日常生活が充実して心のよりどころっていう言葉自体どうでもよくなってくると、日記を放り出してしまうと思います。日常生活が楽しいですからね。
で、そもそも俺なんてこんな文章チョロチョロ書いてる奴じゃないんだい!って、明るい自分を発見したりします。
一方、文章を書くことが趣味ですというような場合は、常に「何かネタないかなぁ」というモードなので、充実してようがしてなかろうが、頭の中はあんまり変わらないと思うんですよ。
かりに忙しくてしょうがない状態だとしても、もともと文章を書くのが大好きですから、ちょっと空いた時間とか、休みの日とかにイキイキしながら書いてるんじゃないかと思います。
ただ、それは日記じゃなくてエッセイとかコラムに近いものがありますね。
ああ。これ、私だ。いひひ。
今いる学校の教育補助員さんのナチュラルかわいいメイクを見て「あぁ、あんなにかわいく自然にできたらな」と思い、
週に1回来校される外部講師の方の大人っぽいコンサバなメイクを見て「あぁ、大人っぽい化粧って素敵だな」と思いながらも、
いざ自分が化粧するとなると、朝のあわただしい時間にそんなことやってられっかい!という面倒くさがりな意識が頭をもたげてきます。
それにそれに。
大学出たてで化粧オンチの頃に1回きちんとメイクをして出勤したことがあったのですが(文化祭の日でした。保護者がいっぱい来るし…と思って気合が入ってました 笑)、寄ってくる子ども数名に「先生、怖い!!」「先生、顔が変!!」等々言われたことが苦ーい思い出として残ってもいるので、「失敗するならやらない方がまし」という意識も依然としてあります。
しかし、最近にわか化粧フェチをやっていて気づいたことがあります。
丁寧にやればやるほど、やわらかなメイクになるんですね。
時間がないとつい、要所要所を重点的にやろうとして、出来上がった顔を見ると狙ったつもりのない厚化粧になってしまうんですよね。
ということで、化粧は時間があるときにやります。
今日は定時に退勤したので(大部分の職員が一斉の会合に出席するので、学校がカラになるから定時に出てね、って言われたのね)、突如時間ができました。
帰宅してから、フルメイクをして香水もつけて近所のスーパーへ買い物に行きました。やることが過剰。
しかも歩いてスーパーに向かう途中で自宅に米のストックがなかったことに気づき、買った米袋を下げてえっちらおっちら帰ってくるという結果になりました。
寄り道もできないや。
化粧が「非日常」の代名詞になっています。
今日は手の届く範囲で「非日常」を追い求めてみました。アハ。
余談
コンスタントに読んでる個人HPの日記に「最近充実しすぎて日記が書けません」という旨の記述があったのを読んで、プッと吹き出してしまいました。なにか、見てはいけないものを見てしまったような気がして(笑)。
結構多いですよね、この種の記述をする人。
適性という言葉が一瞬頭をよぎります。文章への適性ね。
胸のうちを日記に綴ることを心のよりどころにしている場合、日常生活が充実して心のよりどころっていう言葉自体どうでもよくなってくると、日記を放り出してしまうと思います。日常生活が楽しいですからね。
で、そもそも俺なんてこんな文章チョロチョロ書いてる奴じゃないんだい!って、明るい自分を発見したりします。
一方、文章を書くことが趣味ですというような場合は、常に「何かネタないかなぁ」というモードなので、充実してようがしてなかろうが、頭の中はあんまり変わらないと思うんですよ。
かりに忙しくてしょうがない状態だとしても、もともと文章を書くのが大好きですから、ちょっと空いた時間とか、休みの日とかにイキイキしながら書いてるんじゃないかと思います。
ただ、それは日記じゃなくてエッセイとかコラムに近いものがありますね。
ああ。これ、私だ。いひひ。
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