酒よ酒よ
2005年9月2日酒について書いてみます。
最近気になるのが、「私ってこんなに飲めますor俺ってこんなに飲めるんだなこれが」っていうことをしゃべる人。
全然酒が飲めませんとか、すぐ真っ赤になっちゃうんですよー、という類の、「私は酒に弱いんです」談にはあまり気をとられることもないんですが、しゃべっている本人の「飲めます!」談を聞くたび、私はちょこっと違和感を覚えます。
酒が飲めるっていうのは、パブリックな場ではちょっとまずいけど(選挙演説で「酒、大好き!!!」と叫ぶ人がいないのはこういう理由によるものです)、大人の雰囲気を存分に出すことのできる言葉です。
悪いんだけどカッコいい、みたいな。悪いけどカッコいい大人はいつの時代も庶民の憧れです。
酒に飲まれてしまう話、例えば悪酔いして、まるでヘンゼルとグレーテルが道しるべにしたパンくずのように絶え間なくゲロを吐き続けた、というようなのは笑い話の類になりますので、ここでは除外します。
自己アピールとして酒に強い話をもってきていいのかどうか。
先ほども言ったような、「悪さ+カッコよさ」をアピールするためのものとして酒に強い話をするのは手っ取り早いアプローチです。
しかし、手っ取り早いからこそ安易でもあります。つまり、酒に強い話を通じて本人の「悪くてカッコいい大人だって思われたいんだもん!!」という願望が、相手に丸見えになっちゃうんですよね。
酒の話をもってこなければ自分の大人性をアピールできないんじゃないかとすら思えることもあります。
酒に強い話を自慢げに話すことの見返りは、「この人、大人ぁ〜!」じゃなくてむしろ「あー、こいつ安易だな」の可能性のほうが高いと思いますよ。
その点酒に弱い人は、悪くてカッコいい大人性のアピールにおいて近道を遮断された状態にあります。
しかしそれは、大人性演出のための特別なオーラを常に身ぐるみ剥がされたような状態でもあるため、いわば常に素の自分で勝負せざるを得ません。それが、ある意味自分のホントの個性発揮につながってるわけです。
あー、だから酒が飲めない人っていうのは個性的なことが多いのかな。
飲みの場でシラフでいても、そこにすんなり馴染めるどころか雰囲気まるごともっていっちゃうような勢いの人、いませんか。
また、酒が飲めない談を普通にする人は、酒の魅力なんか借りなくとも魅力があることが多いですよね。
「悪くてカッコいい大人」っつーものは、たしかに魅力的なんですけど、その魅力っていうのは、もしかすると大人の魅力の最大公約数だったりするかもしれません。
ということは、悪くてカッコいいこと(だけ!)をイコールめざす大人の姿と捉えると、多分似たような人間はいっぱいいるので、個性は埋没してしまいます。
そもそも、悪くてカッコいい大人を魅力的に見せるのは、「プラスα」の要素の有無だと思うんですよね私。
そして、「プラスα」の部分っていうのは、酒とは関係ない場面で現れてくると思うんですよ。
なので安易に酒飲み自慢をすること、やめませんか。要するに幼稚なんですよ。
飲めない人はどっちでもいい。飲める人は黙っとく!!
だいたい酒で大人性を測るなんていうのは未成年ワールドの世界だっつの。
これが、今のところの結論です。
で、私は酒が飲めるかどうかといいますと。
……さぁ?知りません。
最近気になるのが、「私ってこんなに飲めますor俺ってこんなに飲めるんだなこれが」っていうことをしゃべる人。
全然酒が飲めませんとか、すぐ真っ赤になっちゃうんですよー、という類の、「私は酒に弱いんです」談にはあまり気をとられることもないんですが、しゃべっている本人の「飲めます!」談を聞くたび、私はちょこっと違和感を覚えます。
酒が飲めるっていうのは、パブリックな場ではちょっとまずいけど(選挙演説で「酒、大好き!!!」と叫ぶ人がいないのはこういう理由によるものです)、大人の雰囲気を存分に出すことのできる言葉です。
悪いんだけどカッコいい、みたいな。悪いけどカッコいい大人はいつの時代も庶民の憧れです。
酒に飲まれてしまう話、例えば悪酔いして、まるでヘンゼルとグレーテルが道しるべにしたパンくずのように絶え間なくゲロを吐き続けた、というようなのは笑い話の類になりますので、ここでは除外します。
自己アピールとして酒に強い話をもってきていいのかどうか。
先ほども言ったような、「悪さ+カッコよさ」をアピールするためのものとして酒に強い話をするのは手っ取り早いアプローチです。
しかし、手っ取り早いからこそ安易でもあります。つまり、酒に強い話を通じて本人の「悪くてカッコいい大人だって思われたいんだもん!!」という願望が、相手に丸見えになっちゃうんですよね。
酒の話をもってこなければ自分の大人性をアピールできないんじゃないかとすら思えることもあります。
酒に強い話を自慢げに話すことの見返りは、「この人、大人ぁ〜!」じゃなくてむしろ「あー、こいつ安易だな」の可能性のほうが高いと思いますよ。
その点酒に弱い人は、悪くてカッコいい大人性のアピールにおいて近道を遮断された状態にあります。
しかしそれは、大人性演出のための特別なオーラを常に身ぐるみ剥がされたような状態でもあるため、いわば常に素の自分で勝負せざるを得ません。それが、ある意味自分のホントの個性発揮につながってるわけです。
あー、だから酒が飲めない人っていうのは個性的なことが多いのかな。
飲みの場でシラフでいても、そこにすんなり馴染めるどころか雰囲気まるごともっていっちゃうような勢いの人、いませんか。
また、酒が飲めない談を普通にする人は、酒の魅力なんか借りなくとも魅力があることが多いですよね。
「悪くてカッコいい大人」っつーものは、たしかに魅力的なんですけど、その魅力っていうのは、もしかすると大人の魅力の最大公約数だったりするかもしれません。
ということは、悪くてカッコいいこと(だけ!)をイコールめざす大人の姿と捉えると、多分似たような人間はいっぱいいるので、個性は埋没してしまいます。
そもそも、悪くてカッコいい大人を魅力的に見せるのは、「プラスα」の要素の有無だと思うんですよね私。
そして、「プラスα」の部分っていうのは、酒とは関係ない場面で現れてくると思うんですよ。
なので安易に酒飲み自慢をすること、やめませんか。要するに幼稚なんですよ。
飲めない人はどっちでもいい。飲める人は黙っとく!!
だいたい酒で大人性を測るなんていうのは未成年ワールドの世界だっつの。
これが、今のところの結論です。
で、私は酒が飲めるかどうかといいますと。
……さぁ?知りません。
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