うたう子どもたち
2005年11月2日子どもたちの合唱を聞きました。
他の職員や子どもたちのいる手前、必死に涙をこらえる自分。
子どもたちの合唱を聞きながら思ったことは、年々自分が涙もろくなってきているということです。うえーん。
しかしこれは、どんな曲に対してもそうなのかしら?ということで、歌詞を思い出し、かみしめてみることにします。
☆今までに泣いた合唱曲…スマイルアゲイン。世界がひとつになるまで。Let’s search for tomorrow。青葉の歌。
学校業界の人々にはおなじみの曲です。
じゃ、私が小・中学校時代に歌っていた歌って、なに?
☆今まで歌った合唱曲めぼしいもの…小さな木の実。つる。怪獣のバラード。モルダウの流れ。アムール河の波。
予想しますと、昔歌った曲を今改めて聞いても、そんなに涙は出ないんじゃないかって思います。
自分が大人になるまでの間で、合唱曲のラインナップは大きく変わりました。時代を問わぬスタンダード曲も、ありますけどね。
ラインナップに注目。
最近の曲は、ココロに訴える(それも、優しく訴える)ものが目立ちます。(ただ、「青葉の歌」は古い曲ということもあり、ココロへの訴え方に若干力強さを感じます。)
たとえば、歌詞をあげますと…
「スマイルアゲイン スマイルアゲイン どんなあなたも みんな好きだから」女性むけ自己啓発本にありそうな感じです。絵本っぽくなってるやつ(笑)。
「世界がひとつになるまで ずっと手をつないでいよう」ステージ101時代なら、手をつなごうなんてユルいものではなく「ずっと声あげて歌おう!」とかになっていたかも。
これらに対して昔の合唱曲は、昔話だとか歴史上の出来事だとか名所旧跡だとか、そんな情景が浮かんでくるような歌が多いんじゃないでしょうか。
ってことはよ。
聞く側に立つと、昔の曲だったら「他人」としてその曲を見つめ、曲の世界に浸れていたものが、最近の曲になるとどーしても聞いている「自分」を主人公にせざるを得ないんですよ。
ココロに優しく語りかけるメッセージが、急加速で私のハートに飛び込んできます。
こうなると、もはや客観的に曲を楽しむなんてことはできず、魂ふるふる涙ウルウル状態になっちゃうんじゃないかと。
頼まれもしないのに共感の嵐。
わが子をもつお母さんだったら、滝ナミダになったかもしれない!と思いました。
他の職員や子どもたちのいる手前、必死に涙をこらえる自分。
子どもたちの合唱を聞きながら思ったことは、年々自分が涙もろくなってきているということです。うえーん。
しかしこれは、どんな曲に対してもそうなのかしら?ということで、歌詞を思い出し、かみしめてみることにします。
☆今までに泣いた合唱曲…スマイルアゲイン。世界がひとつになるまで。Let’s search for tomorrow。青葉の歌。
学校業界の人々にはおなじみの曲です。
じゃ、私が小・中学校時代に歌っていた歌って、なに?
☆今まで歌った合唱曲めぼしいもの…小さな木の実。つる。怪獣のバラード。モルダウの流れ。アムール河の波。
予想しますと、昔歌った曲を今改めて聞いても、そんなに涙は出ないんじゃないかって思います。
自分が大人になるまでの間で、合唱曲のラインナップは大きく変わりました。時代を問わぬスタンダード曲も、ありますけどね。
ラインナップに注目。
最近の曲は、ココロに訴える(それも、優しく訴える)ものが目立ちます。(ただ、「青葉の歌」は古い曲ということもあり、ココロへの訴え方に若干力強さを感じます。)
たとえば、歌詞をあげますと…
「スマイルアゲイン スマイルアゲイン どんなあなたも みんな好きだから」女性むけ自己啓発本にありそうな感じです。絵本っぽくなってるやつ(笑)。
「世界がひとつになるまで ずっと手をつないでいよう」ステージ101時代なら、手をつなごうなんてユルいものではなく「ずっと声あげて歌おう!」とかになっていたかも。
これらに対して昔の合唱曲は、昔話だとか歴史上の出来事だとか名所旧跡だとか、そんな情景が浮かんでくるような歌が多いんじゃないでしょうか。
ってことはよ。
聞く側に立つと、昔の曲だったら「他人」としてその曲を見つめ、曲の世界に浸れていたものが、最近の曲になるとどーしても聞いている「自分」を主人公にせざるを得ないんですよ。
ココロに優しく語りかけるメッセージが、急加速で私のハートに飛び込んできます。
こうなると、もはや客観的に曲を楽しむなんてことはできず、魂ふるふる涙ウルウル状態になっちゃうんじゃないかと。
頼まれもしないのに共感の嵐。
わが子をもつお母さんだったら、滝ナミダになったかもしれない!と思いました。
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