☆「街的」ということ〜お好み焼き屋は街の学校だ〜(講談社現代新書)
いや〜〜、目からウロコの落ちる本でした。スバラシイ!
と、ほめてばかりでもしょうがないので内容を。
京阪神地区の濃ゆ〜いタウン雑誌「ミーツ・リージョナル」の編集を手がけた著者が、「街」について思いの丈をぶちまけた本です。
情報誌が隆盛し、「情報は多ければ多いほどよい」「街のトレンドをキャッチするアンテナをもて」「情報さえ手に入れられれば誰でも通になれる」等の価値観が浸透してきた世の中に対して、一石をも二石をも投じています。
あまりの痛快さにしびれるぜ。
しびれたところを、いくつか。
◇街にディズニーランドはない。
当たり前と思った人は、「ディズニーランド」を「ディズニーランド的なもの」と置き換えて読んでみてください。
街は、ディズニーランドのようにコンセプトと計画と戦略をもって「つくられるもの」ではなく、自然発生的に「前からそこにあるもの」。
よって、街がどこかほかの街をまねようとした時点で、それは街ではなくなります。
(そうすると、例えば全国各地で手広く展開されているジャスコの大規模ショッピングセンターは、戦略的にはそこを「街の中心とする」つもりなんでしょうけど、もはやそれは本来の「街」ではなくなっているのかもしれない。)
自然発生的にでき、そこに土着性を感じるかどうかが「街」の基準、ということです。
◇「いなかもの」に関する言及
いなかものは、都会にいる地方出身者か?…いーえ違います。
著者は、いなかものについて「なりふり構わないなりふりの構い方をする人」とし、
その背景として「人より先んじて情報を手に入れたり、人より多く情報を得ること。それを消費に直結させ誇示することが、他人より優位な位置につくことであり、またそれが『都会的』であると信じて疑わない類の感性が『いなかもの』をつくりだしている。」と鋭くツッコんでいます。
つまり、例えば原宿でファッション雑誌のスナップを撮られたがるようなおしゃれさんも、
地酒の飲み屋で地酒を話題に地酒を飲むような地酒マニアも、
本来適当に愉快に(…ラテン系に?)飲みゃいいワインについてのウンチクをふりまいて場の雰囲気を冷え冷えとさせるような「ワイン通」も、
みーーーんな「いなかもの」だ!!ぺっぺっぺっ!!
ということです(w)。
彼らには、「よくわかんないけど好きだから、適当にモノに親しむ」という姿勢がない。
情報に追いつき追い抜こうとして、通になろうとして、とんがろうとして、はたまたその道を極めようとして、いつも必死です。
その「なりふり構わない」ところが、どうしようもなく「いなかもの」な行動なのでしょうね。
◇「常連」は難しい。
ミーツ・リージョナル誌のライターが書いた、天ぷら屋さんで常連を気取る作家(実際行きつけなんでしょうね)の言動についての文章抜粋がこの章に載っていて、それがもう超イタくて笑えます。
(^_^;;;;;;;;;;;;;;)こんな感じ。
「店の常連」と「店によく来るうるさい客」を混同している人が、どれほど多いことか。
といいつつ私も、これを読むまで区別がつかなかった人間です(汗)。
ちなみに、店の常連になろうとしてお店通いや情報集めにいそしむ人は、その時点でさっきの定義に則り「いなかもの」になるのでしょうな。
そこで「常連とは何ぞや?」ということになりますが、
気がついたら店と馴染んでいた、あるいは自分が店の空気の一部になっていて存在感がまるでなくなってしまった…等の感覚が「常連」に近い、と著者は述べています。
常連とは、「なって、店に認められる(…立派なお客)」ものじゃなくて、「気づいたら、店と同化している(…店の一部)」ようなもの。
最近は「常連になりたがる(という行為自体が既にニセ常連への道なんですけど)」お客さんの心理をうまく利用した、常連風プレミアムサービスが流行ですよね。会員制のお店とか。
それは、お客さんたちが「常連」という言葉のもつトリックに気づいていないので、「あほらし」と思われることもなく、立派に商売として成り立つのです。
「そんな常連の定義じゃあ、どこの常連も無理やん!!」と怒る諸兄方。
…あなたのステイタスはしょせんその程度なのです。
仮に、晴れて常連呼ばわりされたところで、店側の人間には「しょっちゅう来る面倒くさい客」として、思いっきり心の距離をおかれているかもしれませんし(w)。
この本を読むと、街で生きるには
「飾らない自分の生活範囲」
が、とても重要になってくるなーと感じます。
自分との距離が近く、そのため自分との境界線すらあいまいで、
まして魅力や付加価値等、第三者的な視点からの意識などまるで感じないような自分の周囲こそが、れっきとした「自分の街」なのでしょう。
そこが薄っぺらい(…馴染みの店がない、近所づきあいがない)人は、どこへ行っても、「いなかもの」なのかもしれない。
そして、都会的になりたいとがんばればがんばるほど、「いなかもの」度を強めていくのかもしれない。
いや〜〜、目からウロコの落ちる本でした。スバラシイ!
と、ほめてばかりでもしょうがないので内容を。
京阪神地区の濃ゆ〜いタウン雑誌「ミーツ・リージョナル」の編集を手がけた著者が、「街」について思いの丈をぶちまけた本です。
情報誌が隆盛し、「情報は多ければ多いほどよい」「街のトレンドをキャッチするアンテナをもて」「情報さえ手に入れられれば誰でも通になれる」等の価値観が浸透してきた世の中に対して、一石をも二石をも投じています。
あまりの痛快さにしびれるぜ。
しびれたところを、いくつか。
◇街にディズニーランドはない。
当たり前と思った人は、「ディズニーランド」を「ディズニーランド的なもの」と置き換えて読んでみてください。
街は、ディズニーランドのようにコンセプトと計画と戦略をもって「つくられるもの」ではなく、自然発生的に「前からそこにあるもの」。
よって、街がどこかほかの街をまねようとした時点で、それは街ではなくなります。
(そうすると、例えば全国各地で手広く展開されているジャスコの大規模ショッピングセンターは、戦略的にはそこを「街の中心とする」つもりなんでしょうけど、もはやそれは本来の「街」ではなくなっているのかもしれない。)
自然発生的にでき、そこに土着性を感じるかどうかが「街」の基準、ということです。
◇「いなかもの」に関する言及
いなかものは、都会にいる地方出身者か?…いーえ違います。
著者は、いなかものについて「なりふり構わないなりふりの構い方をする人」とし、
その背景として「人より先んじて情報を手に入れたり、人より多く情報を得ること。それを消費に直結させ誇示することが、他人より優位な位置につくことであり、またそれが『都会的』であると信じて疑わない類の感性が『いなかもの』をつくりだしている。」と鋭くツッコんでいます。
つまり、例えば原宿でファッション雑誌のスナップを撮られたがるようなおしゃれさんも、
地酒の飲み屋で地酒を話題に地酒を飲むような地酒マニアも、
本来適当に愉快に(…ラテン系に?)飲みゃいいワインについてのウンチクをふりまいて場の雰囲気を冷え冷えとさせるような「ワイン通」も、
みーーーんな「いなかもの」だ!!ぺっぺっぺっ!!
ということです(w)。
彼らには、「よくわかんないけど好きだから、適当にモノに親しむ」という姿勢がない。
情報に追いつき追い抜こうとして、通になろうとして、とんがろうとして、はたまたその道を極めようとして、いつも必死です。
その「なりふり構わない」ところが、どうしようもなく「いなかもの」な行動なのでしょうね。
◇「常連」は難しい。
ミーツ・リージョナル誌のライターが書いた、天ぷら屋さんで常連を気取る作家(実際行きつけなんでしょうね)の言動についての文章抜粋がこの章に載っていて、それがもう超イタくて笑えます。
(^_^;;;;;;;;;;;;;;)こんな感じ。
「店の常連」と「店によく来るうるさい客」を混同している人が、どれほど多いことか。
といいつつ私も、これを読むまで区別がつかなかった人間です(汗)。
ちなみに、店の常連になろうとしてお店通いや情報集めにいそしむ人は、その時点でさっきの定義に則り「いなかもの」になるのでしょうな。
そこで「常連とは何ぞや?」ということになりますが、
気がついたら店と馴染んでいた、あるいは自分が店の空気の一部になっていて存在感がまるでなくなってしまった…等の感覚が「常連」に近い、と著者は述べています。
常連とは、「なって、店に認められる(…立派なお客)」ものじゃなくて、「気づいたら、店と同化している(…店の一部)」ようなもの。
最近は「常連になりたがる(という行為自体が既にニセ常連への道なんですけど)」お客さんの心理をうまく利用した、常連風プレミアムサービスが流行ですよね。会員制のお店とか。
それは、お客さんたちが「常連」という言葉のもつトリックに気づいていないので、「あほらし」と思われることもなく、立派に商売として成り立つのです。
「そんな常連の定義じゃあ、どこの常連も無理やん!!」と怒る諸兄方。
…あなたのステイタスはしょせんその程度なのです。
仮に、晴れて常連呼ばわりされたところで、店側の人間には「しょっちゅう来る面倒くさい客」として、思いっきり心の距離をおかれているかもしれませんし(w)。
この本を読むと、街で生きるには
「飾らない自分の生活範囲」
が、とても重要になってくるなーと感じます。
自分との距離が近く、そのため自分との境界線すらあいまいで、
まして魅力や付加価値等、第三者的な視点からの意識などまるで感じないような自分の周囲こそが、れっきとした「自分の街」なのでしょう。
そこが薄っぺらい(…馴染みの店がない、近所づきあいがない)人は、どこへ行っても、「いなかもの」なのかもしれない。
そして、都会的になりたいとがんばればがんばるほど、「いなかもの」度を強めていくのかもしれない。
コメント
こちらで、つられ買いをして「街的」気分よく読みました!
個人的には東京の切捨てぶりに「今も江戸っ子気質が残るいかにも街的な場所はあるよ?」と反論したいところはありますが、痛快で説得力あるお話しに、自然発生的な大人の街を
つくろう・・・と、思うのでした。
良い本をアリガトウ!
わかるわかる。東京もいいトコたくさんありますよね。
東京にあまり詳しくないと、つい六本木ヒルズやお台場を「東京の街」ととらえてしまいそうだけど、実は全然そんなことなくて。
個人的には神保町が大好きなのですが(w)ほかにも下北沢とか高円寺とか戸越銀座とか、北千住とか深川とか神楽坂とか…(地域がめちゃくちゃ 笑)街的な街は東京にもいっぱいありますよね。
で、その辺の東京臭い街を街的にまとめた雑誌は「散歩の達人」だと思います。「東京人」「東京カレンダー」は雰囲気が格調高すぎます(w)。
ほんと、「ミーツ・リージョナル」とそっくりのにおいがしますよ。この雑誌。