同僚のデスクにこの本がありました。
面白そうだったのでつられてしまい、早速本屋さんで購入。
ほぼ一気読みしました。
☆下流志向〜学ばない子どもたち 働かない若者たち(講談社)
子どもの学力が低下しているのは、子どものやる気が低下したとか指導力のない先生が増えたとかよりもむしろ、子どもたちが積極的に学びから逃走しているからだ―と、佐藤学(東大教育学部の学部長さんですね。いま)の論じる内容を説明しています。
また、勉強ってそもそも何なのだろう、仕事って何なのだろうということについても鋭く分析しています。
「この科目は何のために勉強するんですか?それを私が納得できなければ、私はこの科目を履修しません」
…と、自らの未熟な価値観で世界を切り捨てる学生。様々な価値観を受け入れられなければ、そもそも勉強なんてできないのに。
「こんな仕事では私らしさは出せない。本当の私はこんなんじゃない」
…と、過剰な自己愛で自分を包み込みながら転職を繰り返し、気づかないうちにキャリアダウンを深刻なものにさせていき、生活を下流化させている人。
「私は自分探しの旅に出ます」
…と言って、「自分を知っている人が誰一人としていないところ」へ旅に出る人。
(「自分」の特徴は、「自分では分からないこと」です。自分探しをしたいなら、自分に一番近い家族などに自分の歩いてきた道を聞いたりすればいいわけです。要は、他者からの自分の評価が気に入らないから取っ払いたいってだけで、旅に出ることは自分探しでは全然ないんでしょうね。)
などなど、何やら最近増えてきたこんな感じの人たちを、結構刺激的に突っ込んでいます。
小さいとき、「何のために勉強するの?」という質問を大人にしたとき、どんな答えが返ってきましたか。
あるいは、子どもに「何のために勉強するの?」と聞かれたとき、どう答えていますか。
私が質問をしたとき、大人からは「勉強は子どもの仕事だから、子どもは勉強するのだ」みたいな答えが返ってきたような記憶があります。
「何のために」って聞いてるのに「仕事だからだ」と答えているのでは、問いと答えがかみ合っていませんよね。「何のために」って聞かれたら「ナントカのためだ」と答えなきゃいけないのに。
しかしこの本によると、その回答は合っていたようです。
勉強は、何かと引き換えに、あるいは何かのためにするものではない。子どもにとっての勉強とは「当然するもの」。
…って言ってはみたものの、最近そうでもない事例が多いから、「勉強は子どもの仕事なのよ」っていう言い方ができなくなりつつあるのかな?
大人にとっての仕事が「当然のこと」じゃなくなってきてるじゃないすか。
大人には勤労の義務が憲法で規定されていますけど、現に周りを見回してみれば「世間に出るのが怖いんです」といってニートを続けている人や、「仕事に振り回される人生は嫌なんです」とか言いながら難しい仕事から逃げている人とか、多いじゃないすか。
こうなると子どもの目には「仕事って、しなくてもいいんだー」って映るかもしんない。
そうなったら労働人口は減るし、働いてる人は過重労働を強いられそうだし、税金の収入も減るだろうし、ホームレスは増えるだろうし…
何とかしないと大変ですよ!!
もしかすると、昔の日本に学ぶところってあるんじゃないの??
昔に戻れとは言わないけど、昔の大事な価値観をあまりにも簡単にポイ捨てしちゃったから、こんなことになったんじゃないの??
と、いうような本でした。
安易な個人主義に依存すると社会に騙される。
面白そうだったのでつられてしまい、早速本屋さんで購入。
ほぼ一気読みしました。
☆下流志向〜学ばない子どもたち 働かない若者たち(講談社)
子どもの学力が低下しているのは、子どものやる気が低下したとか指導力のない先生が増えたとかよりもむしろ、子どもたちが積極的に学びから逃走しているからだ―と、佐藤学(東大教育学部の学部長さんですね。いま)の論じる内容を説明しています。
また、勉強ってそもそも何なのだろう、仕事って何なのだろうということについても鋭く分析しています。
「この科目は何のために勉強するんですか?それを私が納得できなければ、私はこの科目を履修しません」
…と、自らの未熟な価値観で世界を切り捨てる学生。様々な価値観を受け入れられなければ、そもそも勉強なんてできないのに。
「こんな仕事では私らしさは出せない。本当の私はこんなんじゃない」
…と、過剰な自己愛で自分を包み込みながら転職を繰り返し、気づかないうちにキャリアダウンを深刻なものにさせていき、生活を下流化させている人。
「私は自分探しの旅に出ます」
…と言って、「自分を知っている人が誰一人としていないところ」へ旅に出る人。
(「自分」の特徴は、「自分では分からないこと」です。自分探しをしたいなら、自分に一番近い家族などに自分の歩いてきた道を聞いたりすればいいわけです。要は、他者からの自分の評価が気に入らないから取っ払いたいってだけで、旅に出ることは自分探しでは全然ないんでしょうね。)
などなど、何やら最近増えてきたこんな感じの人たちを、結構刺激的に突っ込んでいます。
小さいとき、「何のために勉強するの?」という質問を大人にしたとき、どんな答えが返ってきましたか。
あるいは、子どもに「何のために勉強するの?」と聞かれたとき、どう答えていますか。
私が質問をしたとき、大人からは「勉強は子どもの仕事だから、子どもは勉強するのだ」みたいな答えが返ってきたような記憶があります。
「何のために」って聞いてるのに「仕事だからだ」と答えているのでは、問いと答えがかみ合っていませんよね。「何のために」って聞かれたら「ナントカのためだ」と答えなきゃいけないのに。
しかしこの本によると、その回答は合っていたようです。
勉強は、何かと引き換えに、あるいは何かのためにするものではない。子どもにとっての勉強とは「当然するもの」。
…って言ってはみたものの、最近そうでもない事例が多いから、「勉強は子どもの仕事なのよ」っていう言い方ができなくなりつつあるのかな?
大人にとっての仕事が「当然のこと」じゃなくなってきてるじゃないすか。
大人には勤労の義務が憲法で規定されていますけど、現に周りを見回してみれば「世間に出るのが怖いんです」といってニートを続けている人や、「仕事に振り回される人生は嫌なんです」とか言いながら難しい仕事から逃げている人とか、多いじゃないすか。
こうなると子どもの目には「仕事って、しなくてもいいんだー」って映るかもしんない。
そうなったら労働人口は減るし、働いてる人は過重労働を強いられそうだし、税金の収入も減るだろうし、ホームレスは増えるだろうし…
何とかしないと大変ですよ!!
もしかすると、昔の日本に学ぶところってあるんじゃないの??
昔に戻れとは言わないけど、昔の大事な価値観をあまりにも簡単にポイ捨てしちゃったから、こんなことになったんじゃないの??
と、いうような本でした。
安易な個人主義に依存すると社会に騙される。
コメント
実は先日「何のため?」と子供の親に言われタジタジ。。。
↓のように回答してから自問自答の日々でした。
http://info.kunchi-ichi.main.jp/?eid=480092
>昔に戻れとは言わないけど・・・
ウンウン!そうなの。そうなの。ちょっと勇気が出ましたw
そーそー。著者は「消費生活の価値観(=役に立つか立たないか)が学問に浸透しはじめてきてから、何だかおかしくなってきた」みたいなことをこの本で言ってます。
「ためになること」よりも、「今すぐ役に立つこと」だけが優先されると、ちょっと世の中がギスギスしそうですね。