久々の更新です(最近いつもなので、この前置きももういらないかしら。w)。

以前、Yoshiの小説「Deep Love」が流行したのちに、私も周回遅れぐらいで「アユの物語」を読みましたが(過去の日記のどこかに載ってるはず)、あのときあんなにガッカリしたにもかかわらず、ケータイ小説に対する関心はいまだアリアリです。
まー、関心いうても、もちろん「また胸の震える感動を味わいたい」というようなのじゃーないですけど。

大人が読んだらあんなのは痛い小説でしかないんじゃないかって思うんですが、一方でそれに感動の涙をほとばしらせる子たちもいるので、私はその辺のねじれ状態に興味があるんです。
で、この現象を上手にまとめた本が出ないかなって思っていたところにこの1冊と出会いました。

☆ケータイ小説的。(速水健朗著 原書房)

ケータイ小説のストーリーって、性描写がエグかったりとか、はたまた簡単に人が死んじゃったりとか、とにかく激しいんですよ。
でも、その激しさから例えばアナーキーさを感じたりとかはないんですよね。
言ってしまうと「こんなにスゴイこといろいろ書いてきて、結論がそんなに保守的なわけ〜???」な感じを受けるものが多くあります。
21世紀の世の中を生きる人たちが、なかば綻びかけた昭和のセンチメンタルな恋愛観に浸ってる姿がよく見られるわけですよ。
何でこんなに保守的なものが支持されてるの?って、私は思ったわけです。読めばわかります(笑)。

(Jポップの現場でも、最近は真っ向から「家族を大切に」とか「お前がいてくれてよかった」とか「母さんありがとう」とか、もはやこちらが失笑するしかないような保守的メッセージをそのままぶつけた歌がやたら増えていますよね。伝えることはかまわないけど、想像の余地もつくらずにそのまま伝えるしかないわけ?あんたたちは政府広報かい?みたいな思いを抱えながら、ミュージックシーンとやらを見つめていますけどね…)

閑話休題。
まぁそんなこんなで、なんだか価値観だけが昔に戻ったような感じがするのですが、これはいったい何なんだろう?っていう疑問にこの本はひとつの答えを出しています。

「ヤンキー文化の再来」なんだそうな。

著者は次の3つを同族のものとして分析しています。
○ケータイ小説の描写
○浜崎あゆみの歌詞の世界
○「ティーンズロード」の読者ページの世界
きましたよ3つめ。「ティーンズロード」ですよ懐かしいなーもう。
これは80年代から90年代にかけて存在した、暴走族のレディース雑誌です(ちなみに、ギャル雑誌「egg」の台頭に押されて休刊したのだそうです…時代の流れを感じますね)。私も高校ぐらいのときに友達と爆笑しながら本屋で立ち読みしたこと、あります。

この人たちって、自分の意識が常に自分の内に向いているんですよね。大人から見たら自意識過剰なぐらいに。
その中心になるのが著者いわく「トラウマ語り系文化」。
そーいうのを引き立てるには、ドライな、スノッブな、キャッチーなシチュエーションではなくて、
ちょっと懐かしいような、センチメンタルなシチュエーションのほうが適しているんでしょう。
私はたぶん、そこを見て「なんでこんな古いもんを…」って思ったんでしょうな。
(ストーリー展開の古さを感じる割に性描写がスゲェっていうのは、もはやそれだけ中高生にとってのセックスが日常化してるってことなのかな。頭と体が別モンになってますよね。)

抒情的な文化は(それが陳腐なものであっても)、昔から支持されてきているんですね。
ある意味、それが日本人らしさなのかもしれない。
突き抜けて明るいチューブの歌よりも、ちょびっと悲しいサザンの歌のほうが売れているように。

ケータイ小説。
内容は薄っぺらいけど、その背後にある、それを支えてるものはきっと深いですよ。

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