「かすうどん」のルーツを知る
2008年10月5日 読んだ本
☆被差別の食卓(上原善広著 新潮選書)
「食べ物で差別して、どうするの」
そう思った人もいるでしょうけど、そういうことじゃないっすよ。
被差別の人びとが食べていたことをルーツとする料理って色々あるんですね、ってことを教えてくれる本です。
捨てる部分を捨てないで美味しく食べる知恵と、気合いのようなものを感じました。
この夏休みに、帰省がてら大阪を観光したんですよ。
大阪へ行った際の目的の一つに「かすうどんを食べること」というものがありました。
ミーツ・リージョナルを読んでて、「た、食べたいぃ~~!」と一目ぼれしてしまいましたもので。
かすうどんっていっても、天かすの乗っかったうどんのことじゃないですよ。
きざんだ油かす(牛ホルモンをカリカリに揚げたもの)が乗っかったうどんです。
事前にお店を調べて、通天閣のめっちゃ足もとにある「ひこまるうどん」でノーマルなかすうどんを初めて食べました。
だしのきいた関西風あっさりめんつゆにホルモンの歯ごたえとうまみ、そして刻んだゆずの皮がなんとも爽快でも~アナタ!おいしいのなんの!
店を出れば、いくら観光地通天閣近辺とはいっても、釜ヶ崎の目と鼻の先。
西成のフリーダムなおっちゃん達がぎょーさんおる地域特有の「街のニオイ」に包まれながらも、気分は大満足でした。
あぁ、また食べたいなぁ。じゅるり。
なんでこんなん書いたのかというと。
「かすうどん」のルーツこそが、被差別地区にあったことをこの本で知ったからです。
いわゆる部落民の人びとは、食肉解体業や皮革加工などの分野でみんなの暮らしを支えてきました。
関西の地域を旅していると、それと感じる地域に時々出会います。自分の出自をオープンに語り、そして受け入れる関西人の「社会的な風通しの良さ」が、私は好きです。
まぁ内情はいろいろ大変なことと思います。だけど、世間には寝た子を起こすまいとして隠しに隠す地域が多いでしょうから、それに比べればずっといいなって思うんですが、どうでしょう。
すみません話がそれましたね。
解体した食肉のうち、商品に使わないホルモンの部分(そういや「ホルモンの語源…放るもん、つまり捨てるもの」っていうの、なかったっけ?)を美味しく食べるための知恵がこの「油かす」。
そして「かすうどん」はジワジワと、大阪発の全国区グルメになりそうな勢いです。ビストロスマップにも出たらしいよね。
この本では、まさに被差別地区出身の著者が世界中を渡り歩き、NYのハーレムやブラジルにあるアフリカ系黒人の居住地等々においてそれぞれの地の「ソウルフード」を食べ、レポートしています。そして最後の章で、日本のソウルフードにも触れています。
いま、巷でちょっとした「ソウルフード」ブームですよね。
単に観光目的などのためにつくられたものではなく、地元民の生活に根ざした正真正銘の「ソウルフード」は、どのくらいあるのでしょうか。
「食べ物で差別して、どうするの」
そう思った人もいるでしょうけど、そういうことじゃないっすよ。
被差別の人びとが食べていたことをルーツとする料理って色々あるんですね、ってことを教えてくれる本です。
捨てる部分を捨てないで美味しく食べる知恵と、気合いのようなものを感じました。
この夏休みに、帰省がてら大阪を観光したんですよ。
大阪へ行った際の目的の一つに「かすうどんを食べること」というものがありました。
ミーツ・リージョナルを読んでて、「た、食べたいぃ~~!」と一目ぼれしてしまいましたもので。
かすうどんっていっても、天かすの乗っかったうどんのことじゃないですよ。
きざんだ油かす(牛ホルモンをカリカリに揚げたもの)が乗っかったうどんです。
事前にお店を調べて、通天閣のめっちゃ足もとにある「ひこまるうどん」でノーマルなかすうどんを初めて食べました。
だしのきいた関西風あっさりめんつゆにホルモンの歯ごたえとうまみ、そして刻んだゆずの皮がなんとも爽快でも~アナタ!おいしいのなんの!
店を出れば、いくら観光地通天閣近辺とはいっても、釜ヶ崎の目と鼻の先。
西成のフリーダムなおっちゃん達がぎょーさんおる地域特有の「街のニオイ」に包まれながらも、気分は大満足でした。
あぁ、また食べたいなぁ。じゅるり。
なんでこんなん書いたのかというと。
「かすうどん」のルーツこそが、被差別地区にあったことをこの本で知ったからです。
いわゆる部落民の人びとは、食肉解体業や皮革加工などの分野でみんなの暮らしを支えてきました。
関西の地域を旅していると、それと感じる地域に時々出会います。自分の出自をオープンに語り、そして受け入れる関西人の「社会的な風通しの良さ」が、私は好きです。
まぁ内情はいろいろ大変なことと思います。だけど、世間には寝た子を起こすまいとして隠しに隠す地域が多いでしょうから、それに比べればずっといいなって思うんですが、どうでしょう。
すみません話がそれましたね。
解体した食肉のうち、商品に使わないホルモンの部分(そういや「ホルモンの語源…放るもん、つまり捨てるもの」っていうの、なかったっけ?)を美味しく食べるための知恵がこの「油かす」。
そして「かすうどん」はジワジワと、大阪発の全国区グルメになりそうな勢いです。ビストロスマップにも出たらしいよね。
この本では、まさに被差別地区出身の著者が世界中を渡り歩き、NYのハーレムやブラジルにあるアフリカ系黒人の居住地等々においてそれぞれの地の「ソウルフード」を食べ、レポートしています。そして最後の章で、日本のソウルフードにも触れています。
いま、巷でちょっとした「ソウルフード」ブームですよね。
単に観光目的などのためにつくられたものではなく、地元民の生活に根ざした正真正銘の「ソウルフード」は、どのくらいあるのでしょうか。
「ケータイ小説的。」
2008年7月26日 読んだ本久々の更新です(最近いつもなので、この前置きももういらないかしら。w)。
以前、Yoshiの小説「Deep Love」が流行したのちに、私も周回遅れぐらいで「アユの物語」を読みましたが(過去の日記のどこかに載ってるはず)、あのときあんなにガッカリしたにもかかわらず、ケータイ小説に対する関心はいまだアリアリです。
まー、関心いうても、もちろん「また胸の震える感動を味わいたい」というようなのじゃーないですけど。
大人が読んだらあんなのは痛い小説でしかないんじゃないかって思うんですが、一方でそれに感動の涙をほとばしらせる子たちもいるので、私はその辺のねじれ状態に興味があるんです。
で、この現象を上手にまとめた本が出ないかなって思っていたところにこの1冊と出会いました。
☆ケータイ小説的。(速水健朗著 原書房)
ケータイ小説のストーリーって、性描写がエグかったりとか、はたまた簡単に人が死んじゃったりとか、とにかく激しいんですよ。
でも、その激しさから例えばアナーキーさを感じたりとかはないんですよね。
言ってしまうと「こんなにスゴイこといろいろ書いてきて、結論がそんなに保守的なわけ〜???」な感じを受けるものが多くあります。
21世紀の世の中を生きる人たちが、なかば綻びかけた昭和のセンチメンタルな恋愛観に浸ってる姿がよく見られるわけですよ。
何でこんなに保守的なものが支持されてるの?って、私は思ったわけです。読めばわかります(笑)。
(Jポップの現場でも、最近は真っ向から「家族を大切に」とか「お前がいてくれてよかった」とか「母さんありがとう」とか、もはやこちらが失笑するしかないような保守的メッセージをそのままぶつけた歌がやたら増えていますよね。伝えることはかまわないけど、想像の余地もつくらずにそのまま伝えるしかないわけ?あんたたちは政府広報かい?みたいな思いを抱えながら、ミュージックシーンとやらを見つめていますけどね…)
閑話休題。
まぁそんなこんなで、なんだか価値観だけが昔に戻ったような感じがするのですが、これはいったい何なんだろう?っていう疑問にこの本はひとつの答えを出しています。
「ヤンキー文化の再来」なんだそうな。
著者は次の3つを同族のものとして分析しています。
○ケータイ小説の描写
○浜崎あゆみの歌詞の世界
○「ティーンズロード」の読者ページの世界
きましたよ3つめ。「ティーンズロード」ですよ懐かしいなーもう。
これは80年代から90年代にかけて存在した、暴走族のレディース雑誌です(ちなみに、ギャル雑誌「egg」の台頭に押されて休刊したのだそうです…時代の流れを感じますね)。私も高校ぐらいのときに友達と爆笑しながら本屋で立ち読みしたこと、あります。
この人たちって、自分の意識が常に自分の内に向いているんですよね。大人から見たら自意識過剰なぐらいに。
その中心になるのが著者いわく「トラウマ語り系文化」。
そーいうのを引き立てるには、ドライな、スノッブな、キャッチーなシチュエーションではなくて、
ちょっと懐かしいような、センチメンタルなシチュエーションのほうが適しているんでしょう。
私はたぶん、そこを見て「なんでこんな古いもんを…」って思ったんでしょうな。
(ストーリー展開の古さを感じる割に性描写がスゲェっていうのは、もはやそれだけ中高生にとってのセックスが日常化してるってことなのかな。頭と体が別モンになってますよね。)
抒情的な文化は(それが陳腐なものであっても)、昔から支持されてきているんですね。
ある意味、それが日本人らしさなのかもしれない。
突き抜けて明るいチューブの歌よりも、ちょびっと悲しいサザンの歌のほうが売れているように。
ケータイ小説。
内容は薄っぺらいけど、その背後にある、それを支えてるものはきっと深いですよ。
以前、Yoshiの小説「Deep Love」が流行したのちに、私も周回遅れぐらいで「アユの物語」を読みましたが(過去の日記のどこかに載ってるはず)、あのときあんなにガッカリしたにもかかわらず、ケータイ小説に対する関心はいまだアリアリです。
まー、関心いうても、もちろん「また胸の震える感動を味わいたい」というようなのじゃーないですけど。
大人が読んだらあんなのは痛い小説でしかないんじゃないかって思うんですが、一方でそれに感動の涙をほとばしらせる子たちもいるので、私はその辺のねじれ状態に興味があるんです。
で、この現象を上手にまとめた本が出ないかなって思っていたところにこの1冊と出会いました。
☆ケータイ小説的。(速水健朗著 原書房)
ケータイ小説のストーリーって、性描写がエグかったりとか、はたまた簡単に人が死んじゃったりとか、とにかく激しいんですよ。
でも、その激しさから例えばアナーキーさを感じたりとかはないんですよね。
言ってしまうと「こんなにスゴイこといろいろ書いてきて、結論がそんなに保守的なわけ〜???」な感じを受けるものが多くあります。
21世紀の世の中を生きる人たちが、なかば綻びかけた昭和のセンチメンタルな恋愛観に浸ってる姿がよく見られるわけですよ。
何でこんなに保守的なものが支持されてるの?って、私は思ったわけです。読めばわかります(笑)。
(Jポップの現場でも、最近は真っ向から「家族を大切に」とか「お前がいてくれてよかった」とか「母さんありがとう」とか、もはやこちらが失笑するしかないような保守的メッセージをそのままぶつけた歌がやたら増えていますよね。伝えることはかまわないけど、想像の余地もつくらずにそのまま伝えるしかないわけ?あんたたちは政府広報かい?みたいな思いを抱えながら、ミュージックシーンとやらを見つめていますけどね…)
閑話休題。
まぁそんなこんなで、なんだか価値観だけが昔に戻ったような感じがするのですが、これはいったい何なんだろう?っていう疑問にこの本はひとつの答えを出しています。
「ヤンキー文化の再来」なんだそうな。
著者は次の3つを同族のものとして分析しています。
○ケータイ小説の描写
○浜崎あゆみの歌詞の世界
○「ティーンズロード」の読者ページの世界
きましたよ3つめ。「ティーンズロード」ですよ懐かしいなーもう。
これは80年代から90年代にかけて存在した、暴走族のレディース雑誌です(ちなみに、ギャル雑誌「egg」の台頭に押されて休刊したのだそうです…時代の流れを感じますね)。私も高校ぐらいのときに友達と爆笑しながら本屋で立ち読みしたこと、あります。
この人たちって、自分の意識が常に自分の内に向いているんですよね。大人から見たら自意識過剰なぐらいに。
その中心になるのが著者いわく「トラウマ語り系文化」。
そーいうのを引き立てるには、ドライな、スノッブな、キャッチーなシチュエーションではなくて、
ちょっと懐かしいような、センチメンタルなシチュエーションのほうが適しているんでしょう。
私はたぶん、そこを見て「なんでこんな古いもんを…」って思ったんでしょうな。
(ストーリー展開の古さを感じる割に性描写がスゲェっていうのは、もはやそれだけ中高生にとってのセックスが日常化してるってことなのかな。頭と体が別モンになってますよね。)
抒情的な文化は(それが陳腐なものであっても)、昔から支持されてきているんですね。
ある意味、それが日本人らしさなのかもしれない。
突き抜けて明るいチューブの歌よりも、ちょびっと悲しいサザンの歌のほうが売れているように。
ケータイ小説。
内容は薄っぺらいけど、その背後にある、それを支えてるものはきっと深いですよ。
実家のCD棚から、ホルストの「惑星」のCDが見つかりました。
ここ5年ぐらい探していたものです(どんだけ〜!)。
「いやぁ、灯台下暗しだったなぁ」と思いながら、早速聴いています。
いま金星。そんな実況いらないか。w
面白い本読みました。
☆知ることより考えること(新潮社)
題名に一目惚れでした。ちなみに帯のキャッチコピーは
「インターネットなんかいらない。もし本当を知りたいのなら、考えることだ。」
ウヒョウ!かっこいい!
ふと、以前紹介した「街的ということ」の中で、情報に依存した現代社会を鋭く突いてたよねそういえば、って思い出しました。池田さんもそんなことをこの本で言っていたりするのかな。
この人の本は面白いっていう話は前から聞いてたんだけど、本屋さんで見かけても「まぁいいや。今度買おう」ってぐらいにしか認識していませんでした。
この人の本は、裏見返しによく著者近影が載っているのですが、ホントに美人です。なにやらセレブチックな顔です。
で、本を読んだ後改めてこの顔を見ると、いやはやセレブだなんて言ってしまってすみません、という気持ちになります。
なぜか。
それは、およそセレブとはかけ離れたところでモノを考えているんだろうなって気がしたからです。
流行と金と物欲、美容、美食などなど…そういった、自分の実体の外側にキラキラと纏っていきながら自分を保持するのではなく、
あくまで自分は自分自身の中にあるとして、常に自分で考えながら、自分の中から湧いてきたモノで自分を保持している。
大人の生き方として、素敵すぎます。
こんなふうに年をとりたいもんだ。
こんなふうにモノを考えたいもんだ。
前者は未来の自分を見てみない限り無理だけど、後者なら今からでもできるかな。
ここ5年ぐらい探していたものです(どんだけ〜!)。
「いやぁ、灯台下暗しだったなぁ」と思いながら、早速聴いています。
いま金星。そんな実況いらないか。w
面白い本読みました。
☆知ることより考えること(新潮社)
題名に一目惚れでした。ちなみに帯のキャッチコピーは
「インターネットなんかいらない。もし本当を知りたいのなら、考えることだ。」
ウヒョウ!かっこいい!
ふと、以前紹介した「街的ということ」の中で、情報に依存した現代社会を鋭く突いてたよねそういえば、って思い出しました。池田さんもそんなことをこの本で言っていたりするのかな。
この人の本は面白いっていう話は前から聞いてたんだけど、本屋さんで見かけても「まぁいいや。今度買おう」ってぐらいにしか認識していませんでした。
この人の本は、裏見返しによく著者近影が載っているのですが、ホントに美人です。なにやらセレブチックな顔です。
で、本を読んだ後改めてこの顔を見ると、いやはやセレブだなんて言ってしまってすみません、という気持ちになります。
なぜか。
それは、およそセレブとはかけ離れたところでモノを考えているんだろうなって気がしたからです。
流行と金と物欲、美容、美食などなど…そういった、自分の実体の外側にキラキラと纏っていきながら自分を保持するのではなく、
あくまで自分は自分自身の中にあるとして、常に自分で考えながら、自分の中から湧いてきたモノで自分を保持している。
大人の生き方として、素敵すぎます。
こんなふうに年をとりたいもんだ。
こんなふうにモノを考えたいもんだ。
前者は未来の自分を見てみない限り無理だけど、後者なら今からでもできるかな。
久々にきちんとした活字本を読みました。
自分が活字に飢えていたのか否か、一気に読んでしまいました。
また本が読みたくなった。本っておもしろいぃ!
☆なぜ日本人は劣化したか(講談社現代新書)
香山リカの精神医学から切り込んだ社会評論は、よく読みます。
この本は痛快です。
そっかぁ最近の世の中って劣化現象なのか!?と思うような事例が、いくつもいくつも。
特に気になったのは、最近よく見る少年犯罪の厳罰化やゼロ・トレランス方式に代表される、いわば「排除によって秩序を保つ社会」が一般化してきたことが社会の劣化なんじゃないのぉ、というくだり。
自分たちでは問題を解決できないから(←この辺が「劣化」?)、権威あるものに強い措置を求める…これってけっこう怖いっすよ。
自分が活字に飢えていたのか否か、一気に読んでしまいました。
また本が読みたくなった。本っておもしろいぃ!
☆なぜ日本人は劣化したか(講談社現代新書)
香山リカの精神医学から切り込んだ社会評論は、よく読みます。
この本は痛快です。
そっかぁ最近の世の中って劣化現象なのか!?と思うような事例が、いくつもいくつも。
特に気になったのは、最近よく見る少年犯罪の厳罰化やゼロ・トレランス方式に代表される、いわば「排除によって秩序を保つ社会」が一般化してきたことが社会の劣化なんじゃないのぉ、というくだり。
自分たちでは問題を解決できないから(←この辺が「劣化」?)、権威あるものに強い措置を求める…これってけっこう怖いっすよ。
「鉄ちゃん」と名乗るほど鉄道に詳しくもなく、また鉄ちゃんのもつ独特なイメージはちょっと避けたいので(w)、こてっちゃんです。
例の、フライパンで炒めるだけの味付けテッチャンとは一線を画します。
☆夜行列車で旅に出る!(三推社・講談社)
夜行列車、大好きなんですよー。
あえて時間をかけて、旅の過程を楽しむってのがいいです。
夜の景色をぼーっと眺めていると、寝るのはもったいない。
寝台列車なんてもう、寝転びながら景色を眺めていけるんですよ?
通路のカーテンを締めきっているから、景色ひとりじめですよ?もう最高ですよー。
この本は写真がいっぱいで、かなり興奮しました。
(↑この辺がこてっちゃん。w)
うう、個室寝台で旅に出たい!
例の、フライパンで炒めるだけの味付けテッチャンとは一線を画します。
☆夜行列車で旅に出る!(三推社・講談社)
夜行列車、大好きなんですよー。
あえて時間をかけて、旅の過程を楽しむってのがいいです。
夜の景色をぼーっと眺めていると、寝るのはもったいない。
寝台列車なんてもう、寝転びながら景色を眺めていけるんですよ?
通路のカーテンを締めきっているから、景色ひとりじめですよ?もう最高ですよー。
この本は写真がいっぱいで、かなり興奮しました。
(↑この辺がこてっちゃん。w)
うう、個室寝台で旅に出たい!
待ってた!(かも?)
2007年4月21日 読んだ本
東の「散歩の達人」、西の「ミーツ・リージョナル」。
素敵な街ネタ雑誌として勝手に位置付けています。
デカい本屋に行って両方読めば、その意味が分かります。w
これは散歩の達人の方のムックです。
☆都電荒川線完全案内(交通新聞社)
以前、南千住から山谷界隈を一人でそぞろ歩いたことがありました。(なんつー所を歩いてるんだよというツッコミ歓迎)
山谷(っていうか台東区日本堤あたり)から吉原(っていうか台東区千束あたり)を白昼にぶらぶらしてて、ふとその辺にあった住宅地図を見たら、三ノ輪橋駅が近いということが分かりました。都電荒川線の始点終点駅ですね。
そういや都電、乗ってみたかったんだよね〜。
そんな気分でワクワクしながら、三ノ輪橋駅まで足を進めました。
途中、「こんな路地裏がまだあったの!!!」と思うような街並みを抜けながら。
とりあえず乗ったはいいが、はて、どこまで乗ろうか。
う〜ん…庚申塚で降りて、巣鴨!とげぬき地蔵&地蔵通り商店街に決定!!
…年齢を疑うような街の趣味で、ホントすみませんwww
いやぁ、あの街歩きは楽しかった。
ということでこの本です。
三ノ輪橋から早稲田へとつながる都電荒川線沿線は、東京の下町観光スポットにもめったに顔を出さないような下町がたくさんあります。
観光してるというより下町ジモティが普通に生活してる、生活臭がプンプン匂う街。さっきの三ノ輪橋みたいなのね。
私のハートに一直線です。こんな本、待ってた!
次なるは「京成線完全案内」なんか出てくれたら嬉しいです。
広すぎるか。そしたら京成本線だけでもいいから。w
(追加)
翌日談。
「京成線完全案内」出てましたww
さすが交通新聞社!買わなきゃ。
素敵な街ネタ雑誌として勝手に位置付けています。
デカい本屋に行って両方読めば、その意味が分かります。w
これは散歩の達人の方のムックです。
☆都電荒川線完全案内(交通新聞社)
以前、南千住から山谷界隈を一人でそぞろ歩いたことがありました。(なんつー所を歩いてるんだよというツッコミ歓迎)
山谷(っていうか台東区日本堤あたり)から吉原(っていうか台東区千束あたり)を白昼にぶらぶらしてて、ふとその辺にあった住宅地図を見たら、三ノ輪橋駅が近いということが分かりました。都電荒川線の始点終点駅ですね。
そういや都電、乗ってみたかったんだよね〜。
そんな気分でワクワクしながら、三ノ輪橋駅まで足を進めました。
途中、「こんな路地裏がまだあったの!!!」と思うような街並みを抜けながら。
とりあえず乗ったはいいが、はて、どこまで乗ろうか。
う〜ん…庚申塚で降りて、巣鴨!とげぬき地蔵&地蔵通り商店街に決定!!
…年齢を疑うような街の趣味で、ホントすみませんwww
いやぁ、あの街歩きは楽しかった。
ということでこの本です。
三ノ輪橋から早稲田へとつながる都電荒川線沿線は、東京の下町観光スポットにもめったに顔を出さないような下町がたくさんあります。
観光してるというより下町ジモティが普通に生活してる、生活臭がプンプン匂う街。さっきの三ノ輪橋みたいなのね。
私のハートに一直線です。こんな本、待ってた!
次なるは「京成線完全案内」なんか出てくれたら嬉しいです。
広すぎるか。そしたら京成本線だけでもいいから。w
(追加)
翌日談。
「京成線完全案内」出てましたww
さすが交通新聞社!買わなきゃ。
京阪神風味の東京案内
2007年4月21日 読んだ本
京阪神てなもんや風味になるのかな?これも。w
☆東京地図本(京阪神エルマガジン社)
もはや大好きな出版社(っていう言い方もマニアックですねw)になりつつある、京阪神エルマガジン社のムックです。
以前「東京本三種」というトピックでここの会社の「東京出張」という本を紹介しましたが、それよりもさりげない東京案内本を見つけました。
私としては、関西人視点バリバリの「東京出張」の方が好みなんですが…まぁこれはこれでいいんです。この出版社の本が出ているとつい買ってしまうんです。アハ。
地図本と銘打っているだけあり、なんといっても地図が主役です。お店情報は脇役。
オトナなお店(決してオシャレなお店という意味ではありませんよー)を結構控えめな文章で紹介しています。
また、「銀座・午後1時」「銀座・午後3時」「銀座・午後7時」といった風に、時刻によって違った賑わいを見せる街を定点観測的に紹介しているのも面白いところです。
先の「東京出張」や、ここの会社の看板雑誌「ミーツ・リージョナル」で見られるような、コテコテギラギラしつつひねくれた文章は皆無。
思わず、実業之日本社のブルーガイドと見間違えてしまいました。…いや、ありえないそんな。w
☆東京地図本(京阪神エルマガジン社)
もはや大好きな出版社(っていう言い方もマニアックですねw)になりつつある、京阪神エルマガジン社のムックです。
以前「東京本三種」というトピックでここの会社の「東京出張」という本を紹介しましたが、それよりもさりげない東京案内本を見つけました。
私としては、関西人視点バリバリの「東京出張」の方が好みなんですが…まぁこれはこれでいいんです。この出版社の本が出ているとつい買ってしまうんです。アハ。
地図本と銘打っているだけあり、なんといっても地図が主役です。お店情報は脇役。
オトナなお店(決してオシャレなお店という意味ではありませんよー)を結構控えめな文章で紹介しています。
また、「銀座・午後1時」「銀座・午後3時」「銀座・午後7時」といった風に、時刻によって違った賑わいを見せる街を定点観測的に紹介しているのも面白いところです。
先の「東京出張」や、ここの会社の看板雑誌「ミーツ・リージョナル」で見られるような、コテコテギラギラしつつひねくれた文章は皆無。
思わず、実業之日本社のブルーガイドと見間違えてしまいました。…いや、ありえないそんな。w
行くつもりだったんですよ。今日。
せっかく越後湯沢の近くに住んでいるからには、早く行ってみたいなぁと思っていたのですが…
昨日、前任校の歓送迎会で飲みすぎたために今日一日を棒に振ってしまいました(涙)
昨日の夜から今日の夕方まで、延々と布団の中で二日酔いの頭をもてあましていました。あぁもったいない。
もったいないので温泉の本だけ買いました。
あー、温泉で肌すべすべになりたいな。
せっかく越後湯沢の近くに住んでいるからには、早く行ってみたいなぁと思っていたのですが…
昨日、前任校の歓送迎会で飲みすぎたために今日一日を棒に振ってしまいました(涙)
昨日の夜から今日の夕方まで、延々と布団の中で二日酔いの頭をもてあましていました。あぁもったいない。
もったいないので温泉の本だけ買いました。
あー、温泉で肌すべすべになりたいな。
表紙は恥ずかしいけど、面白い本
2007年3月11日 読んだ本
最近読んでいる本が「学びから逃走する子どもたち」とか「学力を問い直す」とか「欲ばり過ぎるニッポンの教育」とか、現場の先生によるキッツい教育評論だったので、頭の中が煮詰まっています。
まだ読みかけですが、この種の本は読んでいると頭からぐつぐつと音が聞こえてきそうなぐらい煮詰まります。
そこで、気分転換に読んでいるのがこの本。
☆毒舌 身の上相談(集英社文庫)
きっかけは、夫が買ってきた「プレイボーイの人生相談」という本でした。
プレイボーイに連載されている人生相談を40年分まとめてみました!という本。
エロ雑誌の片隅で、迷える青年くんたちの相談に答えるのは、岡本太郎や石原裕次郎や野坂昭如や赤塚不二夫や開高健や大沢在昌や松本人志など、凄い面々。アントニオ猪木もいました。
ともかく、それをパラパラと読んでいたら、アドバイザーの一人である今東光というお坊さんの話ばかりに目が行きました。
読めば分かるんだけど、すっごい面白い。
なんていうかなぁ、来談者をことごとく馬鹿にしながら結構まっとうな意見を述べている不良の坊さんって感じで。
お坊さんにありがちな、ありがたみのあるお言葉なんてカケラも見られません。
そうだ!
昔ラジオ番組であった、毒蝮三太夫が観客のお年よりを「おい、てめえ!ダラダラ生きてねえでさっさと死ね!!そしたらてめえのとこの嫁は大喜びだよこの馬鹿野郎!」なんて感じにこっぴどくバカにしながら、
最後は「てめえら、長生きするんだぜ」とかなんとか言いながら締めるあの番組の雰囲気に似てるかも!(例えが古くてスミマセンw)
で、そのエロ坊主の人生相談をまとめた本はないものかとamazonをウロウロしたら、あるじゃないですか。
早速、昨日出かけた先の本屋さんで買いました。
しかしまー、表紙がどぎついですよね。
本屋さんで「カバーはおかけしますか?」と聞かれて「お願いします」って言ったのに、そのまま袋に入れて差し出した店員ちゃんよ!いけずったらありゃしない!
しかしそんなことも運命と思ってしまえば結構オツです。とりあえず、今読んでいるところです。
出典はプレイボーイ。
対象は性少年、いや青少年。たまに女性もいます。
相談内容はこんなもの。
◇初恋の相手が大学進学で上京する。あと半年、残された期間で俺は何をしたら彼女に振り向いてもらえるか
◇女子高生の彼女に子どもができた
◇うちの会社の生意気な若社長をやっつける方法は
◇和尚は言葉遣いがひどい。聞く気にもならない (←w)
◇ギャンブルで生計は成り立つか
◇若者に宗教は必要か
元の本の初刊行が1977年。約30年前の青少年の悩み相談です。
例えば
「年上の人妻に恋をしてしまった。彼女は『夫が医師国家試験の勉強中で忙しく、家の中が空虚で愛されている実感がない。今すぐ私を抱いて!』と自分に言ってくる。今の状態で恋を成就させるには駆け落ち同然になるだろうが、この恋愛は実るのだろうか?」
…と相談してきた青年には、
まず「本当に張り倒すぞ。この馬鹿野郎!」と挨拶程度に(w)罵った上で、
「この女はど助平だから、亭主が試験で構ってくれないんでいらいらしてるんだ。こんな馬鹿アマに構っていたらてめえはダメになっちまうぜ。」と、問題の本質に目を向けます。
そこで「救ってやりたいなどと生意気ぬかすな!救われなきゃならねえのはてめえのほうだ。自分自身を救うためには、まずそんな馬鹿アマと別れることだ」と、きっぱり提言してるんですね。なんだか素敵です。
で、これでやめておけばいいのに
「19のやつに『抱いて』なんて甘ったれてる奴は、抱いてほしけりゃあ、俺のところに相談に来させろ。俺がダメなら予備軍は何ぼでもいるぞ。集英社の島地とか文春の樋口とか…」と、実名トークを取り入れながら、蛇足な話をくっつけてきます。これもこの人の持ち味でしょう。
このスタイルは、結構細木数子っぽい?
いやぁ、うーん、もっと無頼な感じがする。「君臨」してない感じ?
人生相談本って味がありますね。
まだ読みかけですが、この種の本は読んでいると頭からぐつぐつと音が聞こえてきそうなぐらい煮詰まります。
そこで、気分転換に読んでいるのがこの本。
☆毒舌 身の上相談(集英社文庫)
きっかけは、夫が買ってきた「プレイボーイの人生相談」という本でした。
プレイボーイに連載されている人生相談を40年分まとめてみました!という本。
エロ雑誌の片隅で、迷える青年くんたちの相談に答えるのは、岡本太郎や石原裕次郎や野坂昭如や赤塚不二夫や開高健や大沢在昌や松本人志など、凄い面々。アントニオ猪木もいました。
ともかく、それをパラパラと読んでいたら、アドバイザーの一人である今東光というお坊さんの話ばかりに目が行きました。
読めば分かるんだけど、すっごい面白い。
なんていうかなぁ、来談者をことごとく馬鹿にしながら結構まっとうな意見を述べている不良の坊さんって感じで。
お坊さんにありがちな、ありがたみのあるお言葉なんてカケラも見られません。
そうだ!
昔ラジオ番組であった、毒蝮三太夫が観客のお年よりを「おい、てめえ!ダラダラ生きてねえでさっさと死ね!!そしたらてめえのとこの嫁は大喜びだよこの馬鹿野郎!」なんて感じにこっぴどくバカにしながら、
最後は「てめえら、長生きするんだぜ」とかなんとか言いながら締めるあの番組の雰囲気に似てるかも!(例えが古くてスミマセンw)
で、そのエロ坊主の人生相談をまとめた本はないものかとamazonをウロウロしたら、あるじゃないですか。
早速、昨日出かけた先の本屋さんで買いました。
しかしまー、表紙がどぎついですよね。
本屋さんで「カバーはおかけしますか?」と聞かれて「お願いします」って言ったのに、そのまま袋に入れて差し出した店員ちゃんよ!いけずったらありゃしない!
しかしそんなことも運命と思ってしまえば結構オツです。とりあえず、今読んでいるところです。
出典はプレイボーイ。
対象は性少年、いや青少年。たまに女性もいます。
相談内容はこんなもの。
◇初恋の相手が大学進学で上京する。あと半年、残された期間で俺は何をしたら彼女に振り向いてもらえるか
◇女子高生の彼女に子どもができた
◇うちの会社の生意気な若社長をやっつける方法は
◇和尚は言葉遣いがひどい。聞く気にもならない (←w)
◇ギャンブルで生計は成り立つか
◇若者に宗教は必要か
元の本の初刊行が1977年。約30年前の青少年の悩み相談です。
例えば
「年上の人妻に恋をしてしまった。彼女は『夫が医師国家試験の勉強中で忙しく、家の中が空虚で愛されている実感がない。今すぐ私を抱いて!』と自分に言ってくる。今の状態で恋を成就させるには駆け落ち同然になるだろうが、この恋愛は実るのだろうか?」
…と相談してきた青年には、
まず「本当に張り倒すぞ。この馬鹿野郎!」と挨拶程度に(w)罵った上で、
「この女はど助平だから、亭主が試験で構ってくれないんでいらいらしてるんだ。こんな馬鹿アマに構っていたらてめえはダメになっちまうぜ。」と、問題の本質に目を向けます。
そこで「救ってやりたいなどと生意気ぬかすな!救われなきゃならねえのはてめえのほうだ。自分自身を救うためには、まずそんな馬鹿アマと別れることだ」と、きっぱり提言してるんですね。なんだか素敵です。
で、これでやめておけばいいのに
「19のやつに『抱いて』なんて甘ったれてる奴は、抱いてほしけりゃあ、俺のところに相談に来させろ。俺がダメなら予備軍は何ぼでもいるぞ。集英社の島地とか文春の樋口とか…」と、実名トークを取り入れながら、蛇足な話をくっつけてきます。これもこの人の持ち味でしょう。
このスタイルは、結構細木数子っぽい?
いやぁ、うーん、もっと無頼な感じがする。「君臨」してない感じ?
人生相談本って味がありますね。
同僚のデスクにこの本がありました。
面白そうだったのでつられてしまい、早速本屋さんで購入。
ほぼ一気読みしました。
☆下流志向〜学ばない子どもたち 働かない若者たち(講談社)
子どもの学力が低下しているのは、子どものやる気が低下したとか指導力のない先生が増えたとかよりもむしろ、子どもたちが積極的に学びから逃走しているからだ―と、佐藤学(東大教育学部の学部長さんですね。いま)の論じる内容を説明しています。
また、勉強ってそもそも何なのだろう、仕事って何なのだろうということについても鋭く分析しています。
「この科目は何のために勉強するんですか?それを私が納得できなければ、私はこの科目を履修しません」
…と、自らの未熟な価値観で世界を切り捨てる学生。様々な価値観を受け入れられなければ、そもそも勉強なんてできないのに。
「こんな仕事では私らしさは出せない。本当の私はこんなんじゃない」
…と、過剰な自己愛で自分を包み込みながら転職を繰り返し、気づかないうちにキャリアダウンを深刻なものにさせていき、生活を下流化させている人。
「私は自分探しの旅に出ます」
…と言って、「自分を知っている人が誰一人としていないところ」へ旅に出る人。
(「自分」の特徴は、「自分では分からないこと」です。自分探しをしたいなら、自分に一番近い家族などに自分の歩いてきた道を聞いたりすればいいわけです。要は、他者からの自分の評価が気に入らないから取っ払いたいってだけで、旅に出ることは自分探しでは全然ないんでしょうね。)
などなど、何やら最近増えてきたこんな感じの人たちを、結構刺激的に突っ込んでいます。
小さいとき、「何のために勉強するの?」という質問を大人にしたとき、どんな答えが返ってきましたか。
あるいは、子どもに「何のために勉強するの?」と聞かれたとき、どう答えていますか。
私が質問をしたとき、大人からは「勉強は子どもの仕事だから、子どもは勉強するのだ」みたいな答えが返ってきたような記憶があります。
「何のために」って聞いてるのに「仕事だからだ」と答えているのでは、問いと答えがかみ合っていませんよね。「何のために」って聞かれたら「ナントカのためだ」と答えなきゃいけないのに。
しかしこの本によると、その回答は合っていたようです。
勉強は、何かと引き換えに、あるいは何かのためにするものではない。子どもにとっての勉強とは「当然するもの」。
…って言ってはみたものの、最近そうでもない事例が多いから、「勉強は子どもの仕事なのよ」っていう言い方ができなくなりつつあるのかな?
大人にとっての仕事が「当然のこと」じゃなくなってきてるじゃないすか。
大人には勤労の義務が憲法で規定されていますけど、現に周りを見回してみれば「世間に出るのが怖いんです」といってニートを続けている人や、「仕事に振り回される人生は嫌なんです」とか言いながら難しい仕事から逃げている人とか、多いじゃないすか。
こうなると子どもの目には「仕事って、しなくてもいいんだー」って映るかもしんない。
そうなったら労働人口は減るし、働いてる人は過重労働を強いられそうだし、税金の収入も減るだろうし、ホームレスは増えるだろうし…
何とかしないと大変ですよ!!
もしかすると、昔の日本に学ぶところってあるんじゃないの??
昔に戻れとは言わないけど、昔の大事な価値観をあまりにも簡単にポイ捨てしちゃったから、こんなことになったんじゃないの??
と、いうような本でした。
安易な個人主義に依存すると社会に騙される。
面白そうだったのでつられてしまい、早速本屋さんで購入。
ほぼ一気読みしました。
☆下流志向〜学ばない子どもたち 働かない若者たち(講談社)
子どもの学力が低下しているのは、子どものやる気が低下したとか指導力のない先生が増えたとかよりもむしろ、子どもたちが積極的に学びから逃走しているからだ―と、佐藤学(東大教育学部の学部長さんですね。いま)の論じる内容を説明しています。
また、勉強ってそもそも何なのだろう、仕事って何なのだろうということについても鋭く分析しています。
「この科目は何のために勉強するんですか?それを私が納得できなければ、私はこの科目を履修しません」
…と、自らの未熟な価値観で世界を切り捨てる学生。様々な価値観を受け入れられなければ、そもそも勉強なんてできないのに。
「こんな仕事では私らしさは出せない。本当の私はこんなんじゃない」
…と、過剰な自己愛で自分を包み込みながら転職を繰り返し、気づかないうちにキャリアダウンを深刻なものにさせていき、生活を下流化させている人。
「私は自分探しの旅に出ます」
…と言って、「自分を知っている人が誰一人としていないところ」へ旅に出る人。
(「自分」の特徴は、「自分では分からないこと」です。自分探しをしたいなら、自分に一番近い家族などに自分の歩いてきた道を聞いたりすればいいわけです。要は、他者からの自分の評価が気に入らないから取っ払いたいってだけで、旅に出ることは自分探しでは全然ないんでしょうね。)
などなど、何やら最近増えてきたこんな感じの人たちを、結構刺激的に突っ込んでいます。
小さいとき、「何のために勉強するの?」という質問を大人にしたとき、どんな答えが返ってきましたか。
あるいは、子どもに「何のために勉強するの?」と聞かれたとき、どう答えていますか。
私が質問をしたとき、大人からは「勉強は子どもの仕事だから、子どもは勉強するのだ」みたいな答えが返ってきたような記憶があります。
「何のために」って聞いてるのに「仕事だからだ」と答えているのでは、問いと答えがかみ合っていませんよね。「何のために」って聞かれたら「ナントカのためだ」と答えなきゃいけないのに。
しかしこの本によると、その回答は合っていたようです。
勉強は、何かと引き換えに、あるいは何かのためにするものではない。子どもにとっての勉強とは「当然するもの」。
…って言ってはみたものの、最近そうでもない事例が多いから、「勉強は子どもの仕事なのよ」っていう言い方ができなくなりつつあるのかな?
大人にとっての仕事が「当然のこと」じゃなくなってきてるじゃないすか。
大人には勤労の義務が憲法で規定されていますけど、現に周りを見回してみれば「世間に出るのが怖いんです」といってニートを続けている人や、「仕事に振り回される人生は嫌なんです」とか言いながら難しい仕事から逃げている人とか、多いじゃないすか。
こうなると子どもの目には「仕事って、しなくてもいいんだー」って映るかもしんない。
そうなったら労働人口は減るし、働いてる人は過重労働を強いられそうだし、税金の収入も減るだろうし、ホームレスは増えるだろうし…
何とかしないと大変ですよ!!
もしかすると、昔の日本に学ぶところってあるんじゃないの??
昔に戻れとは言わないけど、昔の大事な価値観をあまりにも簡単にポイ捨てしちゃったから、こんなことになったんじゃないの??
と、いうような本でした。
安易な個人主義に依存すると社会に騙される。
なんだか新書ブームです。
本屋さんに行くと、いろんな出版社から新書が出ています。
そしてこちらは幻冬社新書第1号の本。これを第1号にもってくるあたり、気合を入れてるのかなーと感じたり。
☆右翼と左翼(幻冬社新書)
先日紹介したDQNネームのHPには「右翼(らいと)」くんと「左翼(れふと)」くんの名前が掲載されていました。
野球の守備位置を連想してつけたんでしょうけど、世間一般でこの字を見たらまず連想するのは思想のベクトルですよね。無知は恐ろしい。
ということで、右ってなに?左ってなに?という素朴な疑問をガイドしてくれる本です。
私のイメージだと、こんな感じでした。
右翼も左翼も、濃いものからライトなものまで取り混ぜています。
右翼:街宣カー? 暴力団? 安倍政権? 産経新聞?
左翼:共産党? ソ連? 朝日新聞? 日の丸君が代反対?
あーそうだよね、って思いません?
この辺のことを、歴史をさかのぼりながらこの本で教えてもらいました。
フランス革命後に国全体が凄い勢いで共和国に向かっていく過程が、特に面白かったです。
恐ろしいほどのスピードで「左」に向かっていく議会。ちょっとでも王制の擁護(=「右」)に回ったら最後、モンターニュ派のやり玉にあげられて処刑台行き…後にも先にもこんな激動はないんじゃないでしょうか。
てなわけで、歴史読み物のように楽しんでしまいました(汗)。
本屋さんに行くと、いろんな出版社から新書が出ています。
そしてこちらは幻冬社新書第1号の本。これを第1号にもってくるあたり、気合を入れてるのかなーと感じたり。
☆右翼と左翼(幻冬社新書)
先日紹介したDQNネームのHPには「右翼(らいと)」くんと「左翼(れふと)」くんの名前が掲載されていました。
野球の守備位置を連想してつけたんでしょうけど、世間一般でこの字を見たらまず連想するのは思想のベクトルですよね。無知は恐ろしい。
ということで、右ってなに?左ってなに?という素朴な疑問をガイドしてくれる本です。
私のイメージだと、こんな感じでした。
右翼も左翼も、濃いものからライトなものまで取り混ぜています。
右翼:街宣カー? 暴力団? 安倍政権? 産経新聞?
左翼:共産党? ソ連? 朝日新聞? 日の丸君が代反対?
あーそうだよね、って思いません?
この辺のことを、歴史をさかのぼりながらこの本で教えてもらいました。
フランス革命後に国全体が凄い勢いで共和国に向かっていく過程が、特に面白かったです。
恐ろしいほどのスピードで「左」に向かっていく議会。ちょっとでも王制の擁護(=「右」)に回ったら最後、モンターニュ派のやり玉にあげられて処刑台行き…後にも先にもこんな激動はないんじゃないでしょうか。
てなわけで、歴史読み物のように楽しんでしまいました(汗)。
☆「街的」ということ〜お好み焼き屋は街の学校だ〜(講談社現代新書)
いや〜〜、目からウロコの落ちる本でした。スバラシイ!
と、ほめてばかりでもしょうがないので内容を。
京阪神地区の濃ゆ〜いタウン雑誌「ミーツ・リージョナル」の編集を手がけた著者が、「街」について思いの丈をぶちまけた本です。
情報誌が隆盛し、「情報は多ければ多いほどよい」「街のトレンドをキャッチするアンテナをもて」「情報さえ手に入れられれば誰でも通になれる」等の価値観が浸透してきた世の中に対して、一石をも二石をも投じています。
あまりの痛快さにしびれるぜ。
しびれたところを、いくつか。
◇街にディズニーランドはない。
当たり前と思った人は、「ディズニーランド」を「ディズニーランド的なもの」と置き換えて読んでみてください。
街は、ディズニーランドのようにコンセプトと計画と戦略をもって「つくられるもの」ではなく、自然発生的に「前からそこにあるもの」。
よって、街がどこかほかの街をまねようとした時点で、それは街ではなくなります。
(そうすると、例えば全国各地で手広く展開されているジャスコの大規模ショッピングセンターは、戦略的にはそこを「街の中心とする」つもりなんでしょうけど、もはやそれは本来の「街」ではなくなっているのかもしれない。)
自然発生的にでき、そこに土着性を感じるかどうかが「街」の基準、ということです。
◇「いなかもの」に関する言及
いなかものは、都会にいる地方出身者か?…いーえ違います。
著者は、いなかものについて「なりふり構わないなりふりの構い方をする人」とし、
その背景として「人より先んじて情報を手に入れたり、人より多く情報を得ること。それを消費に直結させ誇示することが、他人より優位な位置につくことであり、またそれが『都会的』であると信じて疑わない類の感性が『いなかもの』をつくりだしている。」と鋭くツッコんでいます。
つまり、例えば原宿でファッション雑誌のスナップを撮られたがるようなおしゃれさんも、
地酒の飲み屋で地酒を話題に地酒を飲むような地酒マニアも、
本来適当に愉快に(…ラテン系に?)飲みゃいいワインについてのウンチクをふりまいて場の雰囲気を冷え冷えとさせるような「ワイン通」も、
みーーーんな「いなかもの」だ!!ぺっぺっぺっ!!
ということです(w)。
彼らには、「よくわかんないけど好きだから、適当にモノに親しむ」という姿勢がない。
情報に追いつき追い抜こうとして、通になろうとして、とんがろうとして、はたまたその道を極めようとして、いつも必死です。
その「なりふり構わない」ところが、どうしようもなく「いなかもの」な行動なのでしょうね。
◇「常連」は難しい。
ミーツ・リージョナル誌のライターが書いた、天ぷら屋さんで常連を気取る作家(実際行きつけなんでしょうね)の言動についての文章抜粋がこの章に載っていて、それがもう超イタくて笑えます。
(^_^;;;;;;;;;;;;;;)こんな感じ。
「店の常連」と「店によく来るうるさい客」を混同している人が、どれほど多いことか。
といいつつ私も、これを読むまで区別がつかなかった人間です(汗)。
ちなみに、店の常連になろうとしてお店通いや情報集めにいそしむ人は、その時点でさっきの定義に則り「いなかもの」になるのでしょうな。
そこで「常連とは何ぞや?」ということになりますが、
気がついたら店と馴染んでいた、あるいは自分が店の空気の一部になっていて存在感がまるでなくなってしまった…等の感覚が「常連」に近い、と著者は述べています。
常連とは、「なって、店に認められる(…立派なお客)」ものじゃなくて、「気づいたら、店と同化している(…店の一部)」ようなもの。
最近は「常連になりたがる(という行為自体が既にニセ常連への道なんですけど)」お客さんの心理をうまく利用した、常連風プレミアムサービスが流行ですよね。会員制のお店とか。
それは、お客さんたちが「常連」という言葉のもつトリックに気づいていないので、「あほらし」と思われることもなく、立派に商売として成り立つのです。
「そんな常連の定義じゃあ、どこの常連も無理やん!!」と怒る諸兄方。
…あなたのステイタスはしょせんその程度なのです。
仮に、晴れて常連呼ばわりされたところで、店側の人間には「しょっちゅう来る面倒くさい客」として、思いっきり心の距離をおかれているかもしれませんし(w)。
この本を読むと、街で生きるには
「飾らない自分の生活範囲」
が、とても重要になってくるなーと感じます。
自分との距離が近く、そのため自分との境界線すらあいまいで、
まして魅力や付加価値等、第三者的な視点からの意識などまるで感じないような自分の周囲こそが、れっきとした「自分の街」なのでしょう。
そこが薄っぺらい(…馴染みの店がない、近所づきあいがない)人は、どこへ行っても、「いなかもの」なのかもしれない。
そして、都会的になりたいとがんばればがんばるほど、「いなかもの」度を強めていくのかもしれない。
いや〜〜、目からウロコの落ちる本でした。スバラシイ!
と、ほめてばかりでもしょうがないので内容を。
京阪神地区の濃ゆ〜いタウン雑誌「ミーツ・リージョナル」の編集を手がけた著者が、「街」について思いの丈をぶちまけた本です。
情報誌が隆盛し、「情報は多ければ多いほどよい」「街のトレンドをキャッチするアンテナをもて」「情報さえ手に入れられれば誰でも通になれる」等の価値観が浸透してきた世の中に対して、一石をも二石をも投じています。
あまりの痛快さにしびれるぜ。
しびれたところを、いくつか。
◇街にディズニーランドはない。
当たり前と思った人は、「ディズニーランド」を「ディズニーランド的なもの」と置き換えて読んでみてください。
街は、ディズニーランドのようにコンセプトと計画と戦略をもって「つくられるもの」ではなく、自然発生的に「前からそこにあるもの」。
よって、街がどこかほかの街をまねようとした時点で、それは街ではなくなります。
(そうすると、例えば全国各地で手広く展開されているジャスコの大規模ショッピングセンターは、戦略的にはそこを「街の中心とする」つもりなんでしょうけど、もはやそれは本来の「街」ではなくなっているのかもしれない。)
自然発生的にでき、そこに土着性を感じるかどうかが「街」の基準、ということです。
◇「いなかもの」に関する言及
いなかものは、都会にいる地方出身者か?…いーえ違います。
著者は、いなかものについて「なりふり構わないなりふりの構い方をする人」とし、
その背景として「人より先んじて情報を手に入れたり、人より多く情報を得ること。それを消費に直結させ誇示することが、他人より優位な位置につくことであり、またそれが『都会的』であると信じて疑わない類の感性が『いなかもの』をつくりだしている。」と鋭くツッコんでいます。
つまり、例えば原宿でファッション雑誌のスナップを撮られたがるようなおしゃれさんも、
地酒の飲み屋で地酒を話題に地酒を飲むような地酒マニアも、
本来適当に愉快に(…ラテン系に?)飲みゃいいワインについてのウンチクをふりまいて場の雰囲気を冷え冷えとさせるような「ワイン通」も、
みーーーんな「いなかもの」だ!!ぺっぺっぺっ!!
ということです(w)。
彼らには、「よくわかんないけど好きだから、適当にモノに親しむ」という姿勢がない。
情報に追いつき追い抜こうとして、通になろうとして、とんがろうとして、はたまたその道を極めようとして、いつも必死です。
その「なりふり構わない」ところが、どうしようもなく「いなかもの」な行動なのでしょうね。
◇「常連」は難しい。
ミーツ・リージョナル誌のライターが書いた、天ぷら屋さんで常連を気取る作家(実際行きつけなんでしょうね)の言動についての文章抜粋がこの章に載っていて、それがもう超イタくて笑えます。
(^_^;;;;;;;;;;;;;;)こんな感じ。
「店の常連」と「店によく来るうるさい客」を混同している人が、どれほど多いことか。
といいつつ私も、これを読むまで区別がつかなかった人間です(汗)。
ちなみに、店の常連になろうとしてお店通いや情報集めにいそしむ人は、その時点でさっきの定義に則り「いなかもの」になるのでしょうな。
そこで「常連とは何ぞや?」ということになりますが、
気がついたら店と馴染んでいた、あるいは自分が店の空気の一部になっていて存在感がまるでなくなってしまった…等の感覚が「常連」に近い、と著者は述べています。
常連とは、「なって、店に認められる(…立派なお客)」ものじゃなくて、「気づいたら、店と同化している(…店の一部)」ようなもの。
最近は「常連になりたがる(という行為自体が既にニセ常連への道なんですけど)」お客さんの心理をうまく利用した、常連風プレミアムサービスが流行ですよね。会員制のお店とか。
それは、お客さんたちが「常連」という言葉のもつトリックに気づいていないので、「あほらし」と思われることもなく、立派に商売として成り立つのです。
「そんな常連の定義じゃあ、どこの常連も無理やん!!」と怒る諸兄方。
…あなたのステイタスはしょせんその程度なのです。
仮に、晴れて常連呼ばわりされたところで、店側の人間には「しょっちゅう来る面倒くさい客」として、思いっきり心の距離をおかれているかもしれませんし(w)。
この本を読むと、街で生きるには
「飾らない自分の生活範囲」
が、とても重要になってくるなーと感じます。
自分との距離が近く、そのため自分との境界線すらあいまいで、
まして魅力や付加価値等、第三者的な視点からの意識などまるで感じないような自分の周囲こそが、れっきとした「自分の街」なのでしょう。
そこが薄っぺらい(…馴染みの店がない、近所づきあいがない)人は、どこへ行っても、「いなかもの」なのかもしれない。
そして、都会的になりたいとがんばればがんばるほど、「いなかもの」度を強めていくのかもしれない。
ぐだぐだな日常を醒めた目で見てみると
2007年1月24日 読んだ本
☆僕って何(河出書房新社)
最近まで風呂で読んでた本です。
初刊行1977年。すさまじい古本ですが、安かったので買いました(もちろんブックオフの105円棚w)。
昭和23年生まれ、まさに団塊の世代ど真ん中の著者が、自らの学生時代の空気を切り取ってきたような感じをこの本から受けました。
この世代の人たちが学生のころというと、学生闘争の真っ只中です。
主人公の「僕」は、田舎から上京してきたもののなかなか友達ができず、学内をフラフラしていたらクラスメイトの学生運動員に声をかけられ、特に思想もないままズルズルとその世界に引っぱりこまれていきます。
そこで、所属した派閥の思想に染まるのかな?と思いきや、彼は染まりません。
かといって自分なりの思想を打ち出すこともできず、ズルズルと周囲に流されていきます。
う〜ん、僕って何。って感じ。
ぐだぐだな学生生活を送る「僕」。
でも、バランスの取れた考え方はクールなんじゃないかな?当時にしては。
学生運動そのものに対しても、かなり醒めた視点をもっています。
この辺はちょっとカッコよいと思いました(ただし、この辺だけw)。
久々に文芸ものを読みましたが、
(あ、ごめんなさい。「Deep Love」読んだばっかりだったwwでもアレは文芸じゃないかwww)
結構引き込まれるものがあって、面白かったです。
私が学生をやってた1990年代でも、まだ学生運動団体は存在していました。
大学の合格発表だか入学手続きだかのときに、全学連の人たちがビラを配ってた(!)し、大学構内には独特の書体で書かれた立て看板があったし、ゴミ箱や校舎の壁には「決起闘争!!」などと書かれたビラが貼られてたし…。
もちろん外見的には異様なものに映りました。時代錯誤もいいとこ。
でもうちの大学は巨大だったので、そんな団体も含めて種々雑多な団体が生き延びることができていたのだと思います。
(余談ですが、例の宗教団体「摂理」がうちの大学で盛んに勧誘をしてた時代が私の学生時代と重なっていました。気づかなかっただけに恐ろしい。)
今もまだあるのかな…。
最近まで風呂で読んでた本です。
初刊行1977年。すさまじい古本ですが、安かったので買いました(もちろんブックオフの105円棚w)。
昭和23年生まれ、まさに団塊の世代ど真ん中の著者が、自らの学生時代の空気を切り取ってきたような感じをこの本から受けました。
この世代の人たちが学生のころというと、学生闘争の真っ只中です。
主人公の「僕」は、田舎から上京してきたもののなかなか友達ができず、学内をフラフラしていたらクラスメイトの学生運動員に声をかけられ、特に思想もないままズルズルとその世界に引っぱりこまれていきます。
そこで、所属した派閥の思想に染まるのかな?と思いきや、彼は染まりません。
かといって自分なりの思想を打ち出すこともできず、ズルズルと周囲に流されていきます。
う〜ん、僕って何。って感じ。
ぐだぐだな学生生活を送る「僕」。
でも、バランスの取れた考え方はクールなんじゃないかな?当時にしては。
学生運動そのものに対しても、かなり醒めた視点をもっています。
この辺はちょっとカッコよいと思いました(ただし、この辺だけw)。
久々に文芸ものを読みましたが、
(あ、ごめんなさい。「Deep Love」読んだばっかりだったwwでもアレは文芸じゃないかwww)
結構引き込まれるものがあって、面白かったです。
私が学生をやってた1990年代でも、まだ学生運動団体は存在していました。
大学の合格発表だか入学手続きだかのときに、全学連の人たちがビラを配ってた(!)し、大学構内には独特の書体で書かれた立て看板があったし、ゴミ箱や校舎の壁には「決起闘争!!」などと書かれたビラが貼られてたし…。
もちろん外見的には異様なものに映りました。時代錯誤もいいとこ。
でもうちの大学は巨大だったので、そんな団体も含めて種々雑多な団体が生き延びることができていたのだと思います。
(余談ですが、例の宗教団体「摂理」がうちの大学で盛んに勧誘をしてた時代が私の学生時代と重なっていました。気づかなかっただけに恐ろしい。)
今もまだあるのかな…。
いまどきのお母さんデータブック
2007年1月14日 読んだ本
☆現代の若い母親たち―夫・子ども・生活・仕事(新曜社)
年末に東京へ行ったときに買った本です。ようやく読み終わりました。
首都圏で3〜5歳の子どもをもつお母さんたち約1000人に調査をし、まとめた本です。
副題にもあるように、夫や子ども、生活、仕事などの項目を細かく調査して分析しています。
こんな調査資料めいた本を買おうと思った発端は、ネットでとある主婦掲示板を見ていたときに生じた疑問です。
「みんな暇なとき何してる?」という標題のスレッドをのぞいたときのことでした。
主婦の余暇時間は何に充てられてるのだろう…と思いきや、こんな返答が載ってました。
○大人の塗り絵をやっている
○ママ友とランチをする
○インターネット、チャットをしている
○することがないので、暇つぶしになるようにペットを買ってもらった
○イククル(出来高払い制出会いサイトみたいな?)をしている
ひえー!
ここの主婦の生活は、隠居生活か!?なんじゃこりゃあ??
掲示板のレスを見てぶっ飛んだことは想像に難くありません。
ともかくそこから、既婚女性の生活やら価値観やらをいろいろ知りたくなったのがスタートです。
本書では、寄せられた調査回答を因子分析して母親を「自立社会派層」「主婦エンジョイ層」「よい嫁志向層」「生活不満層」「高級生活志向層」の5つのタイプに分けて論じています。
自分はどのタイプに共感できるかなぁと考えながら読み進めていくと、興味深いものがありますよ。
年末に東京へ行ったときに買った本です。ようやく読み終わりました。
首都圏で3〜5歳の子どもをもつお母さんたち約1000人に調査をし、まとめた本です。
副題にもあるように、夫や子ども、生活、仕事などの項目を細かく調査して分析しています。
こんな調査資料めいた本を買おうと思った発端は、ネットでとある主婦掲示板を見ていたときに生じた疑問です。
「みんな暇なとき何してる?」という標題のスレッドをのぞいたときのことでした。
主婦の余暇時間は何に充てられてるのだろう…と思いきや、こんな返答が載ってました。
○大人の塗り絵をやっている
○ママ友とランチをする
○インターネット、チャットをしている
○することがないので、暇つぶしになるようにペットを買ってもらった
○イククル(出来高払い制出会いサイトみたいな?)をしている
ひえー!
ここの主婦の生活は、隠居生活か!?なんじゃこりゃあ??
掲示板のレスを見てぶっ飛んだことは想像に難くありません。
ともかくそこから、既婚女性の生活やら価値観やらをいろいろ知りたくなったのがスタートです。
本書では、寄せられた調査回答を因子分析して母親を「自立社会派層」「主婦エンジョイ層」「よい嫁志向層」「生活不満層」「高級生活志向層」の5つのタイプに分けて論じています。
自分はどのタイプに共感できるかなぁと考えながら読み進めていくと、興味深いものがありますよ。
古いけど鋭い!子育て本(今日の風呂の友)
2007年1月14日 読んだ本
☆私は二歳(岩波新書)
岩波新書青版の「私は赤ちゃん」の続編です。
いくつかの本屋さんを探し歩いてもなかなか見つからなかったのですが、なぜか長岡のブックオフにありました。
今回ばかりは、思いこがれていた本が105円で売られていたことにちょっと切なくなりました…。
初恋の女の子と風俗で出会ったみたいな気分です(想像ですがw)。
初版1961年。よ、よんじゅうろくねんまえ〜〜!!
しかし内容は古さを感じさせません。
もしも私に子どもができたあかつきには、バイブルにしたいとすら感じている本です。
巷に並ぶ育児書や育児雑誌の数々は、子育てをスタイリッシュに文化的にとらえているように思えてなりません。
見てくれはいいでしょうけど、子育ての対象となる子どもさんは、そのときどんな気持ちでいるのかな。
情報が氾濫した結果、体で感じながら自然に任せる子育てが忘れられ、頭で考えることを主体とした張りつめた子育てが普通になってきた気がします。世の親御さんたちは大変ですよね。
そんな現実に一石を投じた本が、一連の「子育てハッピーアドバイス」シリーズだと思います。
ご存知のようにバカ売れです。
実はこの「私は赤ちゃん」「私は二歳」のシリーズも、基本的なスタンスは「子育てハッピーアドバイス」的なものなのかも?と思いました。
細かいことはいいから、もっと生きものとしての人間に注目してみないか??って感じでしょうか。
主人公は赤ちゃん(しかし、この本の大事なストーリーテラーということもあり、かなり老成した日本語で語ります!w)。
やや知識偏重の子育てに奮闘しながら、いろんなストレスを抱える真面目な専業主婦のお母さん。
赤ちゃんに対してものすごく適当な接し方なんだけど(そのためにいつもお母さんに怒られています)、子どもの状態をしっかりとらえているお父さん。
読み進めていくと、お姑さんも登場するらしいです。そこで、嫁と姑の関係をクローズアップしたのが本書「私は二歳」の目玉らしいです。
あとがきにそう書いてあった。w
岩波書店の本、しかも青版新書(学術系!)ということもあり、本屋さんではあまり日の目をみることのない存在です。
でも、読んでみるとなんともいえない味のある本です。
子どもは、生きたいように生きる。そのために大人が何をしたらいいのか?そして何をしなくてもいいのか(こっちのウェイトの方が多いかもw)?ということをやさしく説いています。
まだ読み始めですが、ちょっとずつ味わいながら読もうっと。
岩波新書青版の「私は赤ちゃん」の続編です。
いくつかの本屋さんを探し歩いてもなかなか見つからなかったのですが、なぜか長岡のブックオフにありました。
今回ばかりは、思いこがれていた本が105円で売られていたことにちょっと切なくなりました…。
初恋の女の子と風俗で出会ったみたいな気分です(想像ですがw)。
初版1961年。よ、よんじゅうろくねんまえ〜〜!!
しかし内容は古さを感じさせません。
もしも私に子どもができたあかつきには、バイブルにしたいとすら感じている本です。
巷に並ぶ育児書や育児雑誌の数々は、子育てをスタイリッシュに文化的にとらえているように思えてなりません。
見てくれはいいでしょうけど、子育ての対象となる子どもさんは、そのときどんな気持ちでいるのかな。
情報が氾濫した結果、体で感じながら自然に任せる子育てが忘れられ、頭で考えることを主体とした張りつめた子育てが普通になってきた気がします。世の親御さんたちは大変ですよね。
そんな現実に一石を投じた本が、一連の「子育てハッピーアドバイス」シリーズだと思います。
ご存知のようにバカ売れです。
実はこの「私は赤ちゃん」「私は二歳」のシリーズも、基本的なスタンスは「子育てハッピーアドバイス」的なものなのかも?と思いました。
細かいことはいいから、もっと生きものとしての人間に注目してみないか??って感じでしょうか。
主人公は赤ちゃん(しかし、この本の大事なストーリーテラーということもあり、かなり老成した日本語で語ります!w)。
やや知識偏重の子育てに奮闘しながら、いろんなストレスを抱える真面目な専業主婦のお母さん。
赤ちゃんに対してものすごく適当な接し方なんだけど(そのためにいつもお母さんに怒られています)、子どもの状態をしっかりとらえているお父さん。
読み進めていくと、お姑さんも登場するらしいです。そこで、嫁と姑の関係をクローズアップしたのが本書「私は二歳」の目玉らしいです。
あとがきにそう書いてあった。w
岩波書店の本、しかも青版新書(学術系!)ということもあり、本屋さんではあまり日の目をみることのない存在です。
でも、読んでみるとなんともいえない味のある本です。
子どもは、生きたいように生きる。そのために大人が何をしたらいいのか?そして何をしなくてもいいのか(こっちのウェイトの方が多いかもw)?ということをやさしく説いています。
まだ読み始めですが、ちょっとずつ味わいながら読もうっと。
Yoshiワールドで2007年の幕開け
2007年1月4日 読んだ本
新年あけましておめでとうございます。
昨日地元の雑貨屋さんでオシャレな福袋(というか収納用具にグッズを詰め込んであるやつ)をゲットしたのですが、開けて中身を見たら思いっきり「在庫整理品」感が漂うものでした。
これだから福袋ってやつは!!新年早々傷心です。やはりmixiでの評判を信じてグラニフの服セット@通販などにしておくべきだったか。
いや!このガッカリ感もネタになるはず。ということでオイシイとこ頂きました。謝々。
そしてそして。先にもふれたように、Yoshiの小説を晴れてドドーンとゲットしました(写真を見よ)。
地元のブックオフの¥105コーナーに取り揃えられておりました。
前評判や推薦文など、そういうヨイショな文章も見たかったので、帯つきのものをセレクトしました。凄すぎるぜブックオフ!
しかしこのブックオフときたら、一日中清水国明の呼び込みというかしゃべくりというかが流れているんじゃないでしょうか。特に今はお正月キャンペーンということで、呼び込みも多目でした。
彼の驚くほどの滑舌の悪さ、そして「やっつけ仕事」感漂う喋りのテンポに笑いを禁じ得ず、一人店内で唇をかみしめて笑いをこらえていました。
ここに居るお客さんたちは皆平然としていたので、本当に不思議でした。
(もしかして、これに平気でいられることが学会員になるための第一歩なのかしら…という妄想はさておいて。。。)
話がYoshiから清水国明にそれてしまいました。おじさんつながり、ということでお許しを。
Yoshiの小説は、支持派と不支持派が真っ二つに分かれているところに興味を惹かれます。
暇な人はアマゾンで「Deep Love〜アユの物語」のブックレビューを読んでみてください。支持派と不支持派が本気でバトルを繰り広げているかのような雰囲気を感じ取ることができるはず。
彼らの主張するところは、こんなところ。
○支持派:忘れかけていた大切なものに気づかされた/真実の愛とは何かを教えてくれる/普段本は読まないほうだが一気に読んでしまった/感動して大いに泣いた etc
○不支持派(アマゾンでは大多数):文章表現に誤りが多く、幼い/性的描写が多すぎる/医療考証がめちゃくちゃ/表現方法がありきたりすぎ/お涙頂戴的な内容だが、これで読者が泣くとでも思っているのか/女子高生をなめている/大人をなめている etc
おおむね、不支持派の「くだんねーよバーカ。わかりやすい表現しようとして自分のボキャ貧ぶりをさらしてどうすんの」のような文句に、
支持派は「みんな文章が幼いとかなんとか言って、大事なものを見ようとしていないのが悲しい。書き方が酷くても、感動できるものはあるんです!いいものはいいんです!」って感じに反論しています。
なんというか、こんな小説にはまる時期ってあるんじゃないでしょうか。そういう時期に信じてるものって、ある意味無敵ですから(客観性が未熟なこともあり…)。
支持派の意見にはイデオロギー的なものすら感じます。「誰が何と言おうと信じてるもん」みたいな。
アマゾンではYoshi不支持派がかなり多いですが、アマゾン自体がそもそも読書好きな人のためのサイトだと思うので、街に出たらやっぱり支持派も相当いるんじゃないかと思います。
Yoshi小説を読む人の多くは、アマゾンなんて見ないと思うし。
で!!
まずは手始めに「アユの物語」から読んでみました!
2002年初版。日韓共催W杯の年だったんですね。
おー、いきなりエロシーンで幕開けですね。なるほど、アユは心を失った子なんだね。ははーん、大人たちは悪者ですよと。
しかし人が沢山死ぬんだなあこれ。しかもその死を掘り下げたりしません。後味悪いなぁ;;。
どうでもいいけど、この< >で囲った語りって一体誰?Yoshi?だとするとこの物語はYoshiによって語られているというわけか!?
レイナちゃんは好感がもてました(一応)。でもアユと二人で海に行って100人以上の男にナンパされたっていう件がさあ、そこだけ話が雑じゃないかww。
義之くん登場。このへんまでくると善人と悪人のステレオタイプな描写に胸焼けがしてきました。ところがアユはエイズ発症(潜伏期ゼロ!?!?)。チョッ早すぎてビックリしました。
そしてアユ死去。この辺の描写が薄いのは、作者が書いてて面倒くさくなったからなのでしょうか。だからー、簡単に死なすなっつの!!
という概略です。
この本は「完全版」ということで、アナザーストーリーつき(しかも9話もw)でしたが、そっちは斜め読みで済ませたくなりました。
帯の「最後まで読まなければこの感動は伝わらない!」という見出しに怒られてるような気分です。ショボン。
うわーん!一気に読めなかったよう(ウソ泣き)!!
ゲッツ板谷氏が、企画で中谷彰宏の本を嫌々読まされている写真が「出禁上等!」という本に掲載されていますが、この小説を読んでいる時に私がモロにそのゲッツ氏と同じ表情でした(至極わかりにくいw)。
私の結論としては、既に多くの人にも言われていますが
ケータイ小説のままでよかった
ということにします。またYoshiの文章表現のきめ細かさは、エロ場面で最も発揮されていました。そうかこの人はやっぱりエロを書かないとイキイキしないんだな。
最近エロ混じりの創作小説をブログやBBSで披露する人が増えたことのルーツは、この人にあったのかしら。
だとしたらどいつもこいつも(もちろんYoshiも)内容が即物的でヌルすぎます!!
団鬼六の小説を100回読んでみろってんだ!!
私は読んだことないですけどね。
そしてYoshiワールドの読破という名の修行は続く。
昨日地元の雑貨屋さんでオシャレな福袋(というか収納用具にグッズを詰め込んであるやつ)をゲットしたのですが、開けて中身を見たら思いっきり「在庫整理品」感が漂うものでした。
これだから福袋ってやつは!!新年早々傷心です。やはりmixiでの評判を信じてグラニフの服セット@通販などにしておくべきだったか。
いや!このガッカリ感もネタになるはず。ということでオイシイとこ頂きました。謝々。
そしてそして。先にもふれたように、Yoshiの小説を晴れてドドーンとゲットしました(写真を見よ)。
地元のブックオフの¥105コーナーに取り揃えられておりました。
前評判や推薦文など、そういうヨイショな文章も見たかったので、帯つきのものをセレクトしました。凄すぎるぜブックオフ!
しかしこのブックオフときたら、一日中清水国明の呼び込みというかしゃべくりというかが流れているんじゃないでしょうか。特に今はお正月キャンペーンということで、呼び込みも多目でした。
彼の驚くほどの滑舌の悪さ、そして「やっつけ仕事」感漂う喋りのテンポに笑いを禁じ得ず、一人店内で唇をかみしめて笑いをこらえていました。
ここに居るお客さんたちは皆平然としていたので、本当に不思議でした。
(もしかして、これに平気でいられることが学会員になるための第一歩なのかしら…という妄想はさておいて。。。)
話がYoshiから清水国明にそれてしまいました。おじさんつながり、ということでお許しを。
Yoshiの小説は、支持派と不支持派が真っ二つに分かれているところに興味を惹かれます。
暇な人はアマゾンで「Deep Love〜アユの物語」のブックレビューを読んでみてください。支持派と不支持派が本気でバトルを繰り広げているかのような雰囲気を感じ取ることができるはず。
彼らの主張するところは、こんなところ。
○支持派:忘れかけていた大切なものに気づかされた/真実の愛とは何かを教えてくれる/普段本は読まないほうだが一気に読んでしまった/感動して大いに泣いた etc
○不支持派(アマゾンでは大多数):文章表現に誤りが多く、幼い/性的描写が多すぎる/医療考証がめちゃくちゃ/表現方法がありきたりすぎ/お涙頂戴的な内容だが、これで読者が泣くとでも思っているのか/女子高生をなめている/大人をなめている etc
おおむね、不支持派の「くだんねーよバーカ。わかりやすい表現しようとして自分のボキャ貧ぶりをさらしてどうすんの」のような文句に、
支持派は「みんな文章が幼いとかなんとか言って、大事なものを見ようとしていないのが悲しい。書き方が酷くても、感動できるものはあるんです!いいものはいいんです!」って感じに反論しています。
なんというか、こんな小説にはまる時期ってあるんじゃないでしょうか。そういう時期に信じてるものって、ある意味無敵ですから(客観性が未熟なこともあり…)。
支持派の意見にはイデオロギー的なものすら感じます。「誰が何と言おうと信じてるもん」みたいな。
アマゾンではYoshi不支持派がかなり多いですが、アマゾン自体がそもそも読書好きな人のためのサイトだと思うので、街に出たらやっぱり支持派も相当いるんじゃないかと思います。
Yoshi小説を読む人の多くは、アマゾンなんて見ないと思うし。
で!!
まずは手始めに「アユの物語」から読んでみました!
2002年初版。日韓共催W杯の年だったんですね。
おー、いきなりエロシーンで幕開けですね。なるほど、アユは心を失った子なんだね。ははーん、大人たちは悪者ですよと。
しかし人が沢山死ぬんだなあこれ。しかもその死を掘り下げたりしません。後味悪いなぁ;;。
どうでもいいけど、この< >で囲った語りって一体誰?Yoshi?だとするとこの物語はYoshiによって語られているというわけか!?
レイナちゃんは好感がもてました(一応)。でもアユと二人で海に行って100人以上の男にナンパされたっていう件がさあ、そこだけ話が雑じゃないかww。
義之くん登場。このへんまでくると善人と悪人のステレオタイプな描写に胸焼けがしてきました。ところがアユはエイズ発症(潜伏期ゼロ!?!?)。チョッ早すぎてビックリしました。
そしてアユ死去。この辺の描写が薄いのは、作者が書いてて面倒くさくなったからなのでしょうか。だからー、簡単に死なすなっつの!!
という概略です。
この本は「完全版」ということで、アナザーストーリーつき(しかも9話もw)でしたが、そっちは斜め読みで済ませたくなりました。
帯の「最後まで読まなければこの感動は伝わらない!」という見出しに怒られてるような気分です。ショボン。
うわーん!一気に読めなかったよう(ウソ泣き)!!
ゲッツ板谷氏が、企画で中谷彰宏の本を嫌々読まされている写真が「出禁上等!」という本に掲載されていますが、この小説を読んでいる時に私がモロにそのゲッツ氏と同じ表情でした(至極わかりにくいw)。
私の結論としては、既に多くの人にも言われていますが
ケータイ小説のままでよかった
ということにします。またYoshiの文章表現のきめ細かさは、エロ場面で最も発揮されていました。そうかこの人はやっぱりエロを書かないとイキイキしないんだな。
最近エロ混じりの創作小説をブログやBBSで披露する人が増えたことのルーツは、この人にあったのかしら。
だとしたらどいつもこいつも(もちろんYoshiも)内容が即物的でヌルすぎます!!
団鬼六の小説を100回読んでみろってんだ!!
私は読んだことないですけどね。
そしてYoshiワールドの読破という名の修行は続く。
天気がどえらいことになっているので、家で本を読んでいました。
先日の性教育ドッキリ!?体験をきっかけに、いまの社会の動きはどうなってるんだろうと疑問をもち、勉強中です。
☆ジェンダー入門(朝日新聞社)
新聞社のそれぞれが思想的なものをもっている、ということを最近知りました。
いや、「赤旗」とか「聖教新聞」とか、そういう物凄くわかりやすい思想を持ってる新聞は知ってましたけど(汗)。
これが朝日新聞社から出ているということからしても、右翼勢力の歯止めっぽい内容になっています。副題の「〜知らないと恥ずかしい〜」という言葉からしても。
もしこの本が扶桑社(=産経新聞系)から出ていたら、「ジェンダー入門〜ジェンダーフリー思想の光と影〜」ってなるかもしれないし、世界日報社(=統一教会系…)だったら「ジェンダー入門〜いま暴くジェンダーフリーの虚像〜」ってなってるかもしれない(笑)。
ジェンダーフリーに対する論調を見ると、出版社の論調がわかるような。
この本は大学の講義みたいな口調で、ジェンダー論にまつわるいろんな本を紹介しつつ、わかりやすく語られています。
「男らしく、女らしく、という考えをもつ以前に、男に生まれたのなら男だし、女に生まれたのならその時点で女である。そのものになってるんだから、『らしく』するなんて必要ない」というような内容にすこぶる納得。
「自分」という主体をあやふやにさせつつ「男」あるいは「女」の主体を重視すると、そっちの方が一人歩きしてしまって、自分としての主体性がなくなるって思います。
周囲にいませんか?
「男はさぁ…」という主語がつくと、途端に大言壮語になる男性。
「女はね…」という主語がつくと、途端に似合わぬしおらしさを見せる女性。
こんなこと、以前にも書いた覚えがありますがw
☆壊れる男たち(岩波新書)
さあ、そんなわけで男性が「自分」という主語を脱ぎ捨てて「(動物としての)男」という主語のみによって生きるとどうなるのかしら?ということを説いたこの本。
上記の「ジェンダー入門」の中で紹介していたものです。
何が壊れてるのか?ってことですが、東京都の労働相談担当だったこの本の著者が、セクハラの当事者の男性たちとのかかわりを通して「こいつら、壊れてる!!」と思ったからなんだそうです。
職場内セクハラの実例を読んでいる時は、胸がむかむかするような心地でした。
「何でもかんでも大げさに言う被害者意識の強い女だ」
「スキンシップなんて日常のやりとり。そんなことで騒ぐ方がおかしい」
「彼女を愛してたんだからしょうがない」
等々、失笑を誘う男性側の言い訳がこれでもかと飛び出してきます。
結論としての「セクハラをする男と、しない男」についての言及が少しあやふやな感じがしましたが、トンデモ男の言い分を見てみたい人にはこの本はおすすめです(なんだこれw)。
先の「ジェンダー入門」から横道にそれてこの本を買い、そのまま1日で読んじゃいました。
民間のキッツいところは、こんなところにあるよね〜。セクハラなんて日常茶飯事でありそうだし。ありえねーよ。
幸いにして、私はいまのところ職場ではリベラルで平和な雰囲気を満喫しています。よかったですw
☆「お姫様とジェンダー」(ちくま新書)
著者の若桑みどり先生に関しては、何を隠そう大学の頃にこの人の教養科目を履修しましたww
図象的なもの(絵とか写真とかマンガとか映画とか)からメッセージを読み解くのがこの先生の専門です。フェミニズム論者としても有名です。
これは、女子大生への授業でディズニーのアニメ「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」を見せ、そこにある女性の描写からジェンダーのメッセージを読み解くというものです。
女の子の多くが憧れるお姫様物語。しかし、そこには伝統的家父長制のもと、男性に依存して生きることを女性の幸せとする強い強いメッセージが潜んでいました。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」「お妃さま、それは白雪姫でございます」「ムキーーーーッ!!!」のくだりだって、見方を変えてみれば、白雪姫も継母も「鏡(=男!?)」の価値観におもねて生きているということが伝わります。
魔法使いの力で美しいドレスをまとい、王子様に一目惚れされたシンデレラ。しかし、そんなにモテる素質をもってるんだったら、いつまでも「灰かぶり」なんて言われてないで、さっさと外に出ればよかったのでは?何でそこまでして待つ?
魔法の力でお城ごと眠りつづけた眠り姫。王子様のキスで目覚めたってことは、もし来なかったらどうしてたの?ずっと待ちの姿勢かよ!!
ひねくれた解釈で夢を奪うな!との声もあるでしょうが(w)、今考えると、みんなの思い描く夢がそんな画一的なものに支配されている方がはるかに恐ろしいんじゃないでしょうか。
美貌が恋を支配し、男が来るまでひたすら待ち、自分から男を選ぶなんて絶対せず、結婚してオワリ。結婚後なんて知らないし、語りません。
一連のお姫様物語から読み取れるこれらのメッセージは、結構わびしいものがあります(汗)。
思いっきり男目線から見た女の姿じゃないかよと。
まぁ、あくまで「ひとりの女性の生き方の一例」程度なら影響力もないんでしょうけど…。
女子大生の感想も、素直なお姫様信者から真っ向批判するものまでいろいろで、面白かったです。
それと、全身で女の子たちを支持する著者のアツい文体も素敵でした!
先日の性教育ドッキリ!?体験をきっかけに、いまの社会の動きはどうなってるんだろうと疑問をもち、勉強中です。
☆ジェンダー入門(朝日新聞社)
新聞社のそれぞれが思想的なものをもっている、ということを最近知りました。
いや、「赤旗」とか「聖教新聞」とか、そういう物凄くわかりやすい思想を持ってる新聞は知ってましたけど(汗)。
これが朝日新聞社から出ているということからしても、右翼勢力の歯止めっぽい内容になっています。副題の「〜知らないと恥ずかしい〜」という言葉からしても。
もしこの本が扶桑社(=産経新聞系)から出ていたら、「ジェンダー入門〜ジェンダーフリー思想の光と影〜」ってなるかもしれないし、世界日報社(=統一教会系…)だったら「ジェンダー入門〜いま暴くジェンダーフリーの虚像〜」ってなってるかもしれない(笑)。
ジェンダーフリーに対する論調を見ると、出版社の論調がわかるような。
この本は大学の講義みたいな口調で、ジェンダー論にまつわるいろんな本を紹介しつつ、わかりやすく語られています。
「男らしく、女らしく、という考えをもつ以前に、男に生まれたのなら男だし、女に生まれたのならその時点で女である。そのものになってるんだから、『らしく』するなんて必要ない」というような内容にすこぶる納得。
「自分」という主体をあやふやにさせつつ「男」あるいは「女」の主体を重視すると、そっちの方が一人歩きしてしまって、自分としての主体性がなくなるって思います。
周囲にいませんか?
「男はさぁ…」という主語がつくと、途端に大言壮語になる男性。
「女はね…」という主語がつくと、途端に似合わぬしおらしさを見せる女性。
こんなこと、以前にも書いた覚えがありますがw
☆壊れる男たち(岩波新書)
さあ、そんなわけで男性が「自分」という主語を脱ぎ捨てて「(動物としての)男」という主語のみによって生きるとどうなるのかしら?ということを説いたこの本。
上記の「ジェンダー入門」の中で紹介していたものです。
何が壊れてるのか?ってことですが、東京都の労働相談担当だったこの本の著者が、セクハラの当事者の男性たちとのかかわりを通して「こいつら、壊れてる!!」と思ったからなんだそうです。
職場内セクハラの実例を読んでいる時は、胸がむかむかするような心地でした。
「何でもかんでも大げさに言う被害者意識の強い女だ」
「スキンシップなんて日常のやりとり。そんなことで騒ぐ方がおかしい」
「彼女を愛してたんだからしょうがない」
等々、失笑を誘う男性側の言い訳がこれでもかと飛び出してきます。
結論としての「セクハラをする男と、しない男」についての言及が少しあやふやな感じがしましたが、トンデモ男の言い分を見てみたい人にはこの本はおすすめです(なんだこれw)。
先の「ジェンダー入門」から横道にそれてこの本を買い、そのまま1日で読んじゃいました。
民間のキッツいところは、こんなところにあるよね〜。セクハラなんて日常茶飯事でありそうだし。ありえねーよ。
幸いにして、私はいまのところ職場ではリベラルで平和な雰囲気を満喫しています。よかったですw
☆「お姫様とジェンダー」(ちくま新書)
著者の若桑みどり先生に関しては、何を隠そう大学の頃にこの人の教養科目を履修しましたww
図象的なもの(絵とか写真とかマンガとか映画とか)からメッセージを読み解くのがこの先生の専門です。フェミニズム論者としても有名です。
これは、女子大生への授業でディズニーのアニメ「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」を見せ、そこにある女性の描写からジェンダーのメッセージを読み解くというものです。
女の子の多くが憧れるお姫様物語。しかし、そこには伝統的家父長制のもと、男性に依存して生きることを女性の幸せとする強い強いメッセージが潜んでいました。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」「お妃さま、それは白雪姫でございます」「ムキーーーーッ!!!」のくだりだって、見方を変えてみれば、白雪姫も継母も「鏡(=男!?)」の価値観におもねて生きているということが伝わります。
魔法使いの力で美しいドレスをまとい、王子様に一目惚れされたシンデレラ。しかし、そんなにモテる素質をもってるんだったら、いつまでも「灰かぶり」なんて言われてないで、さっさと外に出ればよかったのでは?何でそこまでして待つ?
魔法の力でお城ごと眠りつづけた眠り姫。王子様のキスで目覚めたってことは、もし来なかったらどうしてたの?ずっと待ちの姿勢かよ!!
ひねくれた解釈で夢を奪うな!との声もあるでしょうが(w)、今考えると、みんなの思い描く夢がそんな画一的なものに支配されている方がはるかに恐ろしいんじゃないでしょうか。
美貌が恋を支配し、男が来るまでひたすら待ち、自分から男を選ぶなんて絶対せず、結婚してオワリ。結婚後なんて知らないし、語りません。
一連のお姫様物語から読み取れるこれらのメッセージは、結構わびしいものがあります(汗)。
思いっきり男目線から見た女の姿じゃないかよと。
まぁ、あくまで「ひとりの女性の生き方の一例」程度なら影響力もないんでしょうけど…。
女子大生の感想も、素直なお姫様信者から真っ向批判するものまでいろいろで、面白かったです。
それと、全身で女の子たちを支持する著者のアツい文体も素敵でした!