書店にて

2005年12月18日
近所の本屋さんで、秋元麻巳子の本を何冊か見つけました。
どれも、日本各地の名産品お取り寄せ案内本。
はい。秋元麻巳子と言えば、元おニャン子クラブの高井麻巳子ですね。
秋元康と結婚して秋元麻巳子です。

高井麻巳子も秋元康も個人的に好きではない部類に入っていました。
秋元麻巳子が、お取り寄せの名品案内本だとぅ?きっと、どっかどっかで輝いてる今の自分を写真でアピールしてるんだろな。黒田知永子みたいに(笑)。

と、なかば小バカにしながらページをめくりました。
しかしその本の中には彼女の写真など全くなく、代わりに満載だったのは取り寄せ商品のものっすごい上品なイラストでした。
透明水彩で緻密に描かれた商品のイラストに吃驚。
秋元麻巳子、いつの間にこんな才能を!!

また、主婦の秋元さんはいつの間にか文章の達人にもなっていました。
自分を押し出すこともなく、読者に媚びることもなく、淡々とした書きことばで商品案内が書かれていました。
けれん味のない文章っていうんでしょうか、これ。
次回本屋さんに行ったとき、もしかすると購入してる自分がいたりして。

元高井麻巳子だよ!?(しつこい
変な風邪が流行ってますよー。

今週は2回か3回ぐらいゲロの処理をしました。
なんか、吐いちゃう子が多いみたいですね。んで熱も出て。
ゲロの後始末をしながら、「これに素手で触ってたら、私もウイルス性胃腸炎になってしまう!」と危機感をおぼえ、あわててゴム手袋をしたりしています。
私が伝染ったら学校にいる人々が困る(と、思いたい…)ので。

子供のゲロって、大人に比べると臭くないもんです。
小学校低学年の子には、いわゆるゲロ臭がまったくない子もたまにいます。
やっぱり、大人になるにしたがって胃も変化していくんだろうか。
ということで駅のホームや電車内、タクシーの中や居酒屋などで大人のゲロを始末する人々には頭が上がりません。
先日、肥満についての勉強会に出席してきました。
そこで、「食べ物が余っている時代は人類の歴史から見ると本当ーに最近のことで、ということはつまり、人間はエネルギー過剰にうまく対応して余分なエネルギーを燃やしてくれるような遺伝子すらもっていない」という説を聞き、へぇーそうだなぁと思いました。

人間は知恵を持った生物として生存競争を生き抜き、恐竜さえ死んじゃった氷河期をも生き延びてきました。こっちの歴史の方が、豊かな時代の歴史よりもはるかに長い。
ということで、人間の体には貧しさを生き延びる遺伝子が強烈にインプットされています。
そこで、豊かな時代を生物学的に人間らしく生き抜くには、欲求に対する自制力をつけ、身体能力を高め、考える力や知恵を自分でつけていくことなどが必要となってくるのでしょうか。

楽で快適ではあるけど、人間の生物的機能を生かすのには真っ向から対立する時代に生まれちゃったんですよね。とくに、高度経済成長以降に生まれた私らなどは。
せめて、人間らしく生きていけるように自動的に欲求をセーブしてくれるような遺伝子が欲しかったぁぁ!と嘆きたくもなるのですが、人類の歴史の中でそんな時代などなかったんすよ、と言われればそれまでで。
自分で頑張るしかないんす。

そもそもこんなことを考えたのは、ネッ友の方のブログに「最近不純な恋愛が増えたよね。おかしくね!?」という内容の心の叫びが掲載されており、激しく同意したからです。
……いきなり食物から恋愛かよ、と。
しかし、どちらもライフサイクルの一部だから、つながっている部分はアリマスヨ。

考えてみたんです。
享楽的かつ長続きしない恋愛が多い人や、既婚者でいながら「恋愛したいんだもん!!」等々価値観のずれた発言をする人々の共通点を。
そしたら…多分これと関係してないかな、という共通点が見つかりました。

だらしないんですよ要は。豊かな時代に体まるごと乗っかっているというか。
例えば、便利なキカイがあるのに家事をほったらかし(そのくせ「忙しい」というアピールは欠かさない)、子どもを預けた日中はパチ屋に入り浸り、ジャージのままスーパーに立ち寄ってお惣菜を買って帰り、夜はタバコ片手にネットに興じつつ、夫との会話を自ら断っておきながら「愛が欲しい」とか、間の抜けたことを言ってませんか!そこの女子!!
全部あてはまってなくても、どこかあてはまってませんか?こーいうのが、恋愛のドツボにはまりますよ。
で…「そこの男子!!」というのも書こうとしたのですが、具体的なものが思いつかない。
豊かになった時代で生活環境が素晴らしく(なのかどうかは実際わかりませんが)変わったのは、主に女性の方だと思うので、それだけ豊かな生活に身をやつしているのも、女性の方が多いんじゃないかなと。

一方、早寝早起きし、3食バランスの良い食事を食べ、酒はほどほどタバコはやらず、マメに家事をこなして家の中もきれいに片付いておりますよんという人で、恋愛にはまる人はそれほどいないはず。
(ここまで書いて考えたのですが、もしかすると自分への「負荷」の掛け方が上手だと健康かつ幸せに生きられるのかも?)

そこで、冒頭の話に戻ります。
欲望に忠実にダラダラ恋愛をやってると、だんだん人類としての人間からは遠ざかるかもしれません。
なので、人類のサバイバル能力+不純恋愛の成就!を望むなら、あえて危険な立場に身をおいて命を賭す覚悟で不倫をすれば、すっごい魅力が生まれてくるかもしれません。
そんなことする勇気もないけど恋がしたいぃという人は、そういうことをヌケヌケと言えるほどストレスのなさすぎる社会に生きていることが考えられるので、まず生活を自制して、体によいストレス(規則正しい生活とか…)をかけてみるのも手かもしれませんね。
きっと、大人になりますから。

多分人類史上未曾有の、便利な毎日。
はまればはまるほど、溺れるんじゃないかな。
ガマンする力が軽視されると、人間の遺伝子が元気をなくし、生物としての価値は下がるでしょう。

ダラダラドロドロした恋愛の増加って、きっと生活習慣病の増加やキレやすい人の増加と同一線上にあると思うんです。
もしかしたら、人間らしい機能が衰えてるのかもしれない。
怖いすよ。ということで自制をこめて。
馬油を買いました。
某化粧品口コミサイトでの絶賛ぶりを見て、いっちょ買ったろかと思って。

夜に塗り塗りしています。
うーん、これは俗に言う「好転反応」ってやつでしょうか、顔の皮が粉ふきのように剥けます。
これをしばらくやりすごせば、しっとりもちもちの肌になるらしいです!!…ただし、肌と合ってればの話ですが。

ということで今は肌のざらつきが最高潮です(推定)。
ある意味、肌が超必死でターンオーバーしてるのかも??

!!!!!!!

2005年12月10日
映画「七人のマッハ!!!!!!!」を観て来ました@昨日のレイトショー。

タイ王国のとある小さな村。そこで、スポーツ団の慰問中に突如テロが勃発!
無差別に愛する人を次々に殺され、怒りとおびえに震えながら、村民はスポーツ団のメンバーとともに立ち上がった!
彼らスポーツ団のメンバー各々が自分の得意技をフルに活用しながら、
(ムエタイ・テコンドー・サッカー・ラグビー・体操・セパタクロー・器械体操!!!)
なんと人力でテロ集団をやっつけるお話です。
この7人が、カッコいいのなんの!!!

前からけっこうな話題ですが、ワイヤーなしCGなし、スタントマンの吹き替え演技なしなんですよ。この映画。(しかし、さすがに核爆弾の飛ぶシーンはCGですが。汗)
すべて本人が演技するアクションです。
ジャッキー・チェンが7人揃った映画と思っていただければ。

ということは、それなりの人を起用しないといけないわけで…ということで集められたスポーツ集団の役者の方々がすごい。
本業がスタントマンである主役を除き、国内・国際チャンピオン級の選手なんですよみんな。すげーよマジで。
(なので、今作品が役者としては初演技かと…)

内容も凄いすよ。
テロ集団の血も涙もない攻撃が、もー、すげーの。
平和だった村の住民をバンバン殺しやがって!この野郎!!って感じで。(ちなみにこの辺の描写がリアルなので、R-12指定です)
そこで、見ているこちらも「頑張れ!スポーツ団!」って気持ちになるんです。

彼らの身技を使った攻撃っていうのもダイナミックでした。さすが本業。
セパタクローの選手ってこんなに足上がるんだ!とか、サッカー選手の狙ったポイントに当てる技術って凄い!とか、驚きっぱなし。
「敵を倒すのに、体操って役に立つのかい?」という疑問もあるかもしれませんが、ちゃんと役に立っていました。
パンフレットを後で読んでわかったことですが、本編ではちょっと女にだらしない村の青年をダラダラと演じていた役者さんが実はタイ国初のオリンピック金メダリスト(ボクシングかな?)ってことにも驚きました。まったく超豪華キャスティングですよ。

テロ集団をやっつけ、村に平和が訪れるのか…というと、そこは疑問が残る終わり方でした。
やっつけたからいいってもんじゃないよね、という雰囲気を匂わせて終了。

初めてタイの映画を見ましたが、最初から最後まで気合が入りまくりですよ。これ。
最近、手に汗握ってないなという人におすすめします。
人の相談にのるのが大好きです。
お手紙でもメールでもチャットでもBBSでも、そしてもちろん面前でも面タンピンドラドラでも(そんな…)。
しかし。もともと下に生まれたせいか、人の面倒を見るのはあまり好きではありません。なので、相手の役に立っていることを実感したいから相談をしているわけではありません。
「いつでも相談にのってあげるよ!!」と、自分のヒューマニズムを暑苦しくアピールするのも、わたしの性格にはちと合わない気がします。

新聞や雑誌の投書欄を小さな頃から好んで読み、
人生相談本を好んで買い(あれ?そういえば前に買った武田鉄矢の人生相談本どこにやったっけ?)、
ネットサーフィン中に「私、つらいんです…」というような記述を見かければ、見ず知らずの人が運営するサイトでも「私はこう思いますねー」と、したり顔でコメントを書き込んでしまいます。
チャットでは「相談のってもらっていいですか?」という発言を見るや「いいすよ!なんでしょ!?」と、かるた取りぐらいの反射神経で返答してしまいます。

なんでだろう。
やっぱ好きなんですよ。…これじゃ、冒頭の文に逆戻りですね。失敬。
えーと、難しく言うと(言うかw)、ケーススタディが大好きなのかもしれないです。広い意味でのね。

「あー、こんなこと思ってるんだ」というのをいろいろ見るのがもともと好きで、最近はその情報に対して自分の中の引出しを開けながらアレコレと考えをめぐらせること(この辺が広い意味でのケーススタディ、すなわち事例研究かなー、と…)が、面白いと感じるんです。
いろんな思いがゴチャゴチャしている現場を検証するのが楽しいんです。
どうだ、物好きだろう!!

ということで、
相手の思いに寄り添っているのかいないのかいまいちよくわからないドライな返答が多い(と思う)のは、
私のコメントがいわば人情派刑事の尋問ではなく、鑑識課のマニアな職員のコメントに近いからなのでしょうか。なぜか警察署が思い浮かんでしまいました(笑)。
あ、もしかしたら以前書いた「嫌いな人はネタにできるので、そんなに腹は立ちません」という日記も、この辺の感情と似ているのかも。
あー、やっぱり現場検証好きなんだ、私(なんだかなぁ)。

うへ〜、しかしイヤーな人間性をアピールしてない??これって。
どうしよう。
えーと、大丈夫です。とりあえず。うわー何だこの言い訳。
えーとね、寄り添うべき時には寄り添ってます。相手を見て返答します。じゃなくてしてます。ゆるしてー。
あ。そういや友達にも「ともこはドライな人だよね」と言われてるしー。どうしようー、うぎぎー。

……そしてこんなときはタイトルに戻る(笑)。
最近思うんですけどね、
プロバスケットボールチームの

「東京アパッチ」

って、ものすごくカッコいい名前だと思いませんか!!
私が将来を嘱望されるバスケの選手だったら、新潟アルビレックスにはわき目もくれず「東京アパッチ」に入団させていただきます。
何がいいって、破裂音のカッコよさですよ(w)。

アパッチ。
アパッチ。
アパーーッチ!!TOKYOアパッチ!
……やっぱりカッコいいわ。
(と言ってまた激しく取り残されそうな予感。。)
先日の給食の時間に某1年生女子との間で行われた会話。

「アレッ!?○○さん、野菜がまだ残ってるよ。それ美味しいんだけどな〜、がんばって食べてみよっ?」
「(しばらくの間の後、つぶらな瞳で私の顔を覗き込んで)せんせい、せんせいのかお、なんかぶつぶつがあるけど、それ、なに?」
「え?あ…あぁ、これ?(怒)」

私は知っていますよ。
貴女がワザと箸を落として洗いに行ったり、
いきなり私の顔の欠点を指摘したりして、苦手なものを食べないで済むように給食の時間稼ぎをしていることを。
しくしくしく。

とまぁこんな平日の合間をぬった平日休日。毎週水曜日が休みならいいね!と思いつつ、長野へドライブに行ってきました。
紅葉を眺めたりコーヒーを飲んだり栗おこわを買ったりしてきたあと、自宅近くのイタリアンレストランへ。

ピザとパスタに舌鼓を打ち、デザートを楽しんでいたところ、隣りにいたオーダー直後のカップル客の方から重々しい空気が漂ってきました。
メール見たとか見ないとかいってます。彼女が離席した後、彼がしみじみと携帯を眺めていました。
彼女が戻り、彼に話しかけました。「私もすっげ後悔したよ。こんなことするんじゃなかったって。でも、メールが残ってるってどういうことよ。また携帯開いて眺めたりするのかなって。」
彼「悪かったよ。今回のことで迷惑かけたよ、ごめんホント」
彼女「だからさ、何謝ってるの?謝るようなことしてるわけ?」

うっかり50センチほどの至近距離にいる彼らの話題で盛り上がるわけにはいかないので(w)、とっさに私は携帯のメール画面に言うべきことを打ち込み、連れに見せました。

「隣りの会話がおもしろげ」

連れが私の目を見てニヤリと笑いました。で、「このケーキって美味しいんだっけ?」と、わざとらしい会話を始めました。

会話から推測すると、彼がモトカノから来たメールに返信をしていて、そのメールを彼女が盗み見てしまったみたいです。
ふつふつと怒りが込み上げてそうな口調の彼女。顔が見えない位置にいるので、どんな表情だったか気になるところです。
彼女「だいたいさ、モト彼にメールするときって考えてみなよ。寂しいから聞いてほしくてメールしたわけでしょその人?で、返すあんたもあんたよ。なんでそんなメールに付き合ってるわけ?あの子って彼氏いるんじゃなかったっけ?」
彼「いや、今は一人って言ってたよ。ごめんいろいろ迷惑かけて。今回のことはホントにごめん」
彼女「どういう気持ちで謝ってるのよ」
彼「いや、だから、これからは気をつけますっていう…」
彼女「これからはバレないように気をつけるの?メール見たら消しますって?メール出したら消しますって?あんた、自分でまずいこと言ってんじゃん。アハハ(弱々しい笑い)…」

陽気なイタリアンレストランのディナーの席で、物凄い会話が繰り広げられていました。
再び、携帯で今の気持ちを連れに伝える私。

「かわいそう プチ修羅場?」

再び連れが私の顔を見てニヤニヤしました。そして「コーヒー飲んだら行こうか。早く飲んじゃいなさいよ。あ、いや、ゆっくり飲んじゃいなさいよ」と、再びちぐはぐな会話の口火を切りました。

今さら飯なんていらないだろう、彼はこの店を飛び出してしまいたいのではないだろうか…という私の思いとは裏腹に、彼の分のパスタが到着。
いやはや、忘れられない夜になるかもね、かれら。

店を出てから、窓からカップルの双方の顔を覗き込みました。
ちょっとナヨッとした、いかにもよくいる風貌の彼に対し、子猫を10匹ぐらい生んだ母猫のような凄い貫禄の彼女。
髪形と目化粧が、金髪時代の浜崎あゆみを意識しているようでした。
モテ顔を意識して猫顔にしたら、期せずして母猫の風貌を醸し出していましたって感じです。
外見だけでもそうなのに、私が正妻ですと言わんばかりのふんぞり返った態度。
こんなことが起こるなんて、私に原因はないかしら…という振り返りが必要と考えますが。
こりゃ、怖いね。今からでも遅くない、逃げなされ。
って誰にアドバイスしてるんだか、私。

車に乗り、ドアを閉めた後、連れが私にひとこと。
「彼は、逃げたくなるって…。」
「あんたもそう思った?私もそう思った。」
いろんなケースがありますが、行為はどうあれ、ついつい彼に同情してしまった夜でした。

ドキドキ読書タイム

2005年11月22日
タイトルはどうでもいいです。
1ヶ月にかける書籍代のことを考えると少し不安が頭をよぎりますが、食欲と知識欲以外はほとんど無欲に近いので、生活は何とか成り立っています。
先日ふと、自分が真冬用の上着しか持っていなかったということに気づき「初冬は何を着てたっけ…汗」と思いながらユニクロで薄手のコートを買いました。寒さを覚えて初めてこんなことに気づくなんてピュアだよね、ボク…。
とまあ、言い訳がましいコトバを枕にこんな本を購入そして読了。

☆下流社会

ほんのちょびっと前のベストセラーですね。いうなれば「さおだけ屋」と「生協の白石さん」の間に売れた本です。
「ニートだの自分探しがどうのってこのやろー、食い扶持稼いでからものを言え!!」という若者への思いをたどりながら読む予定が…いやはやもー内容が暗くて暗くて。身につまされるものがありました。

私らが年をとる頃には、この国はイギリスみたいに資本主義原理に忠実な貧富の差が出てくるかもよー、とのこと。
…というのも、いわゆる上流の人々のライフスタイルが今と昔じゃかなり違ってるんですよね。
昔は「金持ち=ヒマ」という図式が頭の中にあった気がしますが、今では違うと。
じゃあ年収の多い上流の人々は何をしているのかといいますと、例えば会社の総合職とかベンチャーの経営者とか、とにかく自分が有能に労働せざるを得ないポストにいるので、「自分らしさって何だろう」てなことを考える暇もなく、あくせくと働いているんですよ。まさに「金持ち暇なし」状態?
で、それとは対照的に労働時間も少なく収入もちょびちょびで、自分のポストの重要性もそれなりないわゆる下流の人(いやだなーこの言い方w)が、自由な時間を持て余すということ。

それに付け加えて、不景気で採用形態がフレキシブルになったりとか、理想の暮らしが多様化してきたりとかで、みんなが自分の身の振り方を自分で決めないとどんどん振り落とされてしまう時代になってきたわけです。
これを政府のえらい人は「希望格差社会到来ですよ!なりたい自分になれますよ!」と言うてますが、別に何にもなりたくないよって人とか、今さらそんなことを言われても困りますって人は、ずんずんと下流にいく可能性があるから、後で苦労するかもよ!!と著者は警告しています。

「そんなコト学校では誰も教えてくれなかった!君たちの未来には希望があるとか言われたし!大人ってズルイ!!」と、嘆くあなた。
そんなあなたは、
「ろくすっぽ勉強もしてこなかった奴に限って、自分で自分の尻も拭けませんみてえなことを平気でわめいてやがるんだよなぁ…わかるかぁ?てめぇのことだぜ?」みたいなセリフで、ドラゴン桜の先生にいびられるかもしれませんよ。

暗いことばかり書きましたが、著者が最後に示した下流社会への打開策は「教育の機会均等」でした。
なりたい自分を生きるのに不自由がないだけの高等教育は、みんなが自由に受けられたほうがいいよマジで!…ということでとりあえず国公立大学の授業料無料化を著者は提言。
いきなり無理無理な目標で萎えてしまいそうですが(w)、
でも冗談抜きで政府はどこかの国際機関に「日本の国立大授業料は高すぎるので、なんとかしなさいね」っていう警告を受けてるんじゃなかったっけな?確か。
スウェーデンの大学を目標にしていただきたいですね。タダなのはもちろん、社会人経験が受験の点数に上乗せされるシステムなので、年配の学生も普通にいたりするらしい。

うーむ、やっぱりこれは若い人たちに「あんたら、賢くなりなさいよ」と諭しているような本ですね。
言われたこと以外やっちゃいけないけど、それを頑張れば稼げた時代。
やりたいようにできるけど、結果が全部自分に返ってくる時代。
どちらが好きですか?
じゃ、どちらが望ましいですか?
そいじゃ、どちらが楽ですかね?
…全部答えが違ったりして(笑)。
今の人たちって、そんなにタフじゃないと思うんだけど、大丈夫かなぁ。私も含めて。
生まれて初めてボジョレー・ヌーボーというものを買ってみました。
昨日解禁だったんでしょ。

よく出るじゃないですか、ボジョレーヌーボー解禁パーティーのニュース。
ああいうのを見ると、みんなで飲むからきっと美味いっていう程度なのかなこのワインは…と勘ぐりたくなりますが、でも飲んでみたいという気持ちもありまして、今日スーパーで売ってたミニサイズのものを買ってみました。

この1週間仕事が忙しくちゃんと自炊をしていなかったので、
ロールキャベツと、ブロッコリーとほたての炒め物を作り、連れの実家から届いたアオリイカの一夜干しをあぶり、今日ってゴージャスーとか思いながら、ワインをいただきました(連れは酒が嫌いなため、お茶)。
普通のワインの味がしました。えへ。

コップに半分ほどの量をチビチビと飲み、ゴハンを食べて後片付けをした後、よく見るサイトをニヤニヤしながら見て、そこから得た知識で早速「隠しページへようこそ」というワードでヤフー検索をかけて、いろんなサイトの隠しページをのぞき、眠くなったので寝てしまいました。
明日は休日。うほほい。
☆美しい日本の掲示板

新書って手軽に持ち歩けて、なおかつ今時の話題をかじった気分になれるから、大好きです。
この本の著者である鈴木淳史さんは、どちらかというとクラシック音楽の批評本関連の方が有名なんですけど(「クラシック悪魔の辞典」名著!!)、こんな本も書いてたのですね。2003年刊。
ひとことで言うと「2ちゃんねる入門」といった感じです。

何事にも疑い深く観察し、お上やマスコミには決して騙されず、「異議アリ!」と思ったら「激しく同意!!」と寄ってたかって誹謗中傷大会(いわゆる「祭り」です)を繰り広げる2ちゃんの住民。
著者はそこに、歴史的な日本人の姿を見出します。

大昔にも、ひねた頭脳で世間ををクールにシュールに斬る、「京童(きょうわらべ)」という存在がいたのだそうです。
2ちゃんねらーって京童にソックリじゃないかいと著者は論じているわけです。
また、自嘲気味に言葉遊びを楽しむ姿なんて、江戸時代の俳人の集まりと一緒っすよ、とも。

これらの人々と2ちゃんねらーって、みんな常識を知りつくしていると思うんですよね私。
常識やモラルを知りつくしているから、遊びの世界にどっぷりとはまれるのよ。
それをいまさら「2ちゃんねるは有害です!」と断罪するような人々は所詮のーたりんですよ。
事象のうわべだけを見て、マスコミに翻弄されてるから、ちょっと見は善人に見えるアホが量産されるわけです。うん。

なんか歴史背景をたどったりして、高尚な本かい?と、お悩みの方もいるかもしれませんね。
文体はちょーーーーーーー軽いので大丈夫です。吹けば飛ぶような文章にはまりすぎて、内容を忘れてしまうことのないように、お気をつけて。
☆県庁の星

いま、けっこうな勢いで売れている小説です。映画化もされるって話だったっけ?
将来を嘱望される地方上級公務員の野村さん。県の産業振興課勤務の彼が1年間の企業研修に出向いた先は、郊外のショッピングセンターでした。

善悪の判断きっちり、書類至上主義、理想に燃えてるけど理屈っぽくて…等々、なんともお役人にピッタリな性質の彼は、裏の店長とも呼ばれるパートの二宮さんに民間の常識を叩き込まれます。
「私は間違ってませんから!!」負けずに頑張る野村さん。はてさて、彼はこの1年間で企業人としての感覚を身につけることができるのでしょうか?
おもしろいですよー。読んだ後気持ちがスカッとする小説です。

私も一応公務員ですけど、この業界の人々には建前と本音の使い分けがあまりうまくない人が多いんじゃないかと思います。
常に建前で生きてて面白くないやつだなお前は、みたいな。
例をあげると、昔の同僚がある日一緒に残業していた先輩に「仕事、辞めたくなることってないですか?」と聞いたんだって。愚痴モードだよねこれ。
したらその先輩に「それを言っちゃあオシマイでしょう!」と笑顔で返されたんですよ。同僚は結構ショックを受けたらしく、「もうこの先輩には相談できないな…」と心に決めたそうです。
また、私の友達に公務員の彼氏がいる人がいるんですけども、彼氏が仕事の話を全然してくれないので、何故話してくれないのかと問いただしたら「だって、公務員は守秘義務があるから」と当然のように答えてきたので、やりきれなくなったとか。

いや、思うのは個人の自由なんですよ。
要はやっぱり…コミュニケーションツールってことになるのかな?
さっきの話でいくと、「仕事辞めるなんて軽々しく言うなやボケが」と心で思っていても、「あーいやだね俺も仕事って!ま、辞めたくならない程度に適当にしといたほうがいいよー?」と、答えることだってできますよね。
「おめー、仕事の秘密をしゃべれるわけねーじゃろがい」と心で思っていても、「俺の仕事ってそういう仕事なのよ。今度困ったことがあったら相談するかもしれないけど、そのときはよろしくね」と答えることだってできるじゃないですか。
このへんのしゃべりを無駄口ととらえるか、コミュニケーションツールととらえるかで人間関係の明暗が分かれそうです。

何か話がずれた??
ではこのへんで。
読書の秋です。この言葉って外国でも通用するのかしら。
最近本を3冊読み終えました。感想めいたコメントを。

☆「ファッション中毒」
分厚い本ながら、最後までセンセーショナルな内容を楽しむことができました。
「ファッションとはゲームであり、自分のファッションというのはすなわち自分がどのレベルでゲームに参加しているかを他人に示すもの」という記述に、脳みそがしびれました。いいこと言う。

ブランドものを持つ人が増えました。
先日職員旅行に行ったときも、ブランドのバッグをいろいろ見ることができ、大変目の保養になりました。
私ですか?…私は2〜3年前に伊勢丹の新春福引きで当たった黒のナイロンバッグでした。マチが広くとってあって使いやすいのよ。
むだ話でしたな。

私はなんつーか、ブランドものを面倒くさくて持てないタチのようです。
というのも、ブランド物には往々にして、自分のパーソナリティを駆逐する勢いがあるでしょ。それを考えるとめんどくさくて。
例えば、「私、自然が大好きなんですよね。だから農業とかにすごく興味があって云々」なんてなことを優しく語る人の左手首にキラーン!それはカルティエの腕時計ですか!?みたいなことがあったら。
「じゃ、お会計」と言ってカバンから出した財布がシュバッ!それはグッチですか!?みたいなことがあったら。

ブランド品の自己主張は強いです。
強いがゆえに、そのブランドが示す性格をよーくわきまえていないと、どんなにオリジナリティを求めようとも、他人の面前では「売れ筋のブランド品を持ったモトヤマさん(仮名)」としての自分が晒されます。
このへんについての「いや、そーじゃなくて私はこのブランドが好きなだけで、私自身にまで重ねられたら困るわけで…」等々自己弁護することは、考えただけでもめんどくさくなるんです。私は。
まぁこのモトヤマさんのパターンは、本人が望んでもいないのにファッションゲームの土俵に上がらされた、ということですよね。
ブランド品が厄介に思えるときです。

ということで、ブランド品を持つならば「なりたい自分」のイメージと重なるもの、そして何より自分に似合うものを吟味して選ぶのが良いと思います。
「こんなの高級すぎて、気恥ずかしくて持てないや」という意識を、これからも大事にしていきたいですねホントに。
あと、ブランド品を持つこととセンスを磨くことは全然別問題ですよね。わかりきってるけども。

本の話に戻ります。
ファッションイコール「美」じゃないんですよ。
美を求めてファッション業界に足を入れる人への警告って感じもします。
ブームの裏に潜む暗黒の真実!
個人的には、超有名ブランド(いくつも!)が世界レベルで展開している発展途上国での労働者搾取についての記述が痛々しく印象に残りました。もーほんと、しゃれにならないレベルで働かせてますから。
労働者はコストではなく資源である、とのたまった某経済学者の言葉がここでは空しく響きます。
あと、文中は全て実名です。エーッあの人が!とか、ヒョエーあのブランドが!という場面にも何度か遭遇。
おしゃれに関心がある人なら、きっと読み応えがあると思います。
昨日ようやくこたつを出しました。
昨夜がこたつ初日だったんですけども、風呂上がりにこたつに入ったら
あまりの気持ちよさに彼も私も座ったまま寝てしまいました。
微妙に安楽じゃない座椅子のおかげで、目が覚めたら片方の太ももがギンギンにしびれていました。

そろそろ晩秋なんじゃないですか?今ごろって。
昨夜はみぞれが降りました。
今日は冷たい雨が降りしきっています。
日が暮れるのも、ほんとに早くなったし。
ということで、ますます残業したくなくなっている今日この頃です。うわーん。

昨日、「こいぬのうんち」という絵本を読みました。
泣きました。

晴れた日に

2005年11月5日
紅葉が目にうるわしい秋晴れの一日でした。
なので、デートらしいデートをしました。

市内の公園へ行って菊まつりをながめて、
博物館へ行って江戸時代の甲冑とか絵巻とか書とかを見て、
公園内を散歩して、
ケーキ屋さんに寄って、オープンエアーになってたイートインコーナーでお茶をしました。

なんか年齢を問わず楽しめそうなデートでそ?
数週間ぶりの、晴れの休日でしたよね。
背中がぽかぽかしました。

エステ初体験

2005年11月3日
初めて、エステに行きました。
きっかけは、肌がくすんできたとかそんな余裕のあるモノではなく、肩こりです。
もともとあまり肩こりの自覚がない私。しかし美容院で肩をもんでもらうたび、「こってますね〜」と言われつづけていました。
そして今週の初めから肩がガンガンして、そのガンガンが首を通って頭に到達し、頭の痛みが続くという事態が起きたのです。
さあ大変。でも、一度やってみたかったエステに行くいいきっかけになりました。
さっそく、行きつけの美容院へ予約。そこはエステもネイルもやっています。

予約の日時に店へ登場。ギャル風の従業員さんがエステルームを案内してくれました。(その人が担当のエステティシャンでした。)
「上だけ脱いで、そちらのガウンを着てください。」と、シャワールームつきの脱衣室に通されました。着替えながら「こういう造りって、何かに似てる…何だっけ?何かモヤモヤするんだけど…」
ラブホテルを連想してしまいました。もうほっといてください。

で、背中のオイルマッサージ開始。
うー、痛気持ちいいです。あ、でも少し痛いです。うぐぐぐぐ痛いです。
だらりと垂らしていた手はいつの間にかこぶしを握りしめ、呼吸は続けていたものの歯を食いしばっていました。
ギャルさんの暖かい手に力が入ります。ごりごり、ごろごろ。

沈黙を破り、ギャルさんが一言。「肩甲骨がこってますね。」
さっきから肩の中のゴリゴリした塊をぐりんぐりんといじられているんですよ。このことかなぁ。
「なんか、ゴリゴリしたものがありますよね?」問い返す私。
「はい。これ全部老廃物です。フフフ。」
「そうなんですかぁ〜ぁははは…」
軽く凹む自分と、来たかいがあったと安心する自分。そうか、「こる」とはこういうコトなのか。

しめて40分、4000円のマッサージ。痛かったけどよくなりました。
なぜか足の裏がポカポカしたことと、終了直後になぜか顔の表面がツルツルしていたのは、マッサージの副効用でしょうか?

うたう子どもたち

2005年11月2日
子どもたちの合唱を聞きました。
他の職員や子どもたちのいる手前、必死に涙をこらえる自分。
子どもたちの合唱を聞きながら思ったことは、年々自分が涙もろくなってきているということです。うえーん。

しかしこれは、どんな曲に対してもそうなのかしら?ということで、歌詞を思い出し、かみしめてみることにします。
☆今までに泣いた合唱曲…スマイルアゲイン。世界がひとつになるまで。Let’s search for tomorrow。青葉の歌。
学校業界の人々にはおなじみの曲です。

じゃ、私が小・中学校時代に歌っていた歌って、なに?
☆今まで歌った合唱曲めぼしいもの…小さな木の実。つる。怪獣のバラード。モルダウの流れ。アムール河の波。
予想しますと、昔歌った曲を今改めて聞いても、そんなに涙は出ないんじゃないかって思います。
自分が大人になるまでの間で、合唱曲のラインナップは大きく変わりました。時代を問わぬスタンダード曲も、ありますけどね。

ラインナップに注目。
最近の曲は、ココロに訴える(それも、優しく訴える)ものが目立ちます。(ただ、「青葉の歌」は古い曲ということもあり、ココロへの訴え方に若干力強さを感じます。)
たとえば、歌詞をあげますと…
「スマイルアゲイン スマイルアゲイン どんなあなたも みんな好きだから」女性むけ自己啓発本にありそうな感じです。絵本っぽくなってるやつ(笑)。
「世界がひとつになるまで ずっと手をつないでいよう」ステージ101時代なら、手をつなごうなんてユルいものではなく「ずっと声あげて歌おう!」とかになっていたかも。
これらに対して昔の合唱曲は、昔話だとか歴史上の出来事だとか名所旧跡だとか、そんな情景が浮かんでくるような歌が多いんじゃないでしょうか。

ってことはよ。
聞く側に立つと、昔の曲だったら「他人」としてその曲を見つめ、曲の世界に浸れていたものが、最近の曲になるとどーしても聞いている「自分」を主人公にせざるを得ないんですよ。
ココロに優しく語りかけるメッセージが、急加速で私のハートに飛び込んできます。
こうなると、もはや客観的に曲を楽しむなんてことはできず、魂ふるふる涙ウルウル状態になっちゃうんじゃないかと。

頼まれもしないのに共感の嵐。
わが子をもつお母さんだったら、滝ナミダになったかもしれない!と思いました。
よく行く定食屋に車で向かいました。
店の前に車を停めようとしたそのとき、店の看板の電気が消えました。
「!?」
駐車場に向かうと、そこにはお客さんの車が数台。
「真っ暗なのに、営業中の看板でてるよ。なんだこれ。」
「店が停電してるんじゃないの??めっずらしー。」
しばらく店の外から眺めていたら、電気が復旧したようで、明るくなりました。

カキフライ定食を食べ、セットのコーヒーを飲んでいるそのとき。
ふたたび停電しました(笑)。
なんかワクワクしたひとときでした。

早朝に

2005年10月29日
昨日飲み会で今日は5時30分から日帰り遠征に行かねばならないとゆー可哀相な彼を、職場まで送ってきました。
出かけるとき、アパートの外に出たら月と星がきれいに光っていました。
トホホ、まだこんな時間。

5時に起きて、半分寝ぼけた状態でカーFMを聞いたらですね、こんな時間になんとスティービー・ワンダーのアーカイブ特集みたいなことをやっていました。

うほっ!

こんな朝っぱらから、古きよきグルーヴィーでスパイシーでスピーディーでスティービーな音楽(w)が流れてくるなんて!
早起きは三文の得って感じでした。
ふてくされて運転をする予定が、「今日もこんなに朝早くから、あなたって本当に偉いよね」なんて心から彼を賞賛していてしまいました。
これもスティービーのお陰。
彼を職場に降ろした帰り道も、白々としてきた空を眺めながら、「インナーヴィジョンズのアルバムの話したんだから、『迷信』とかかからないかな〜♪」なんてうきうき気分で帰ってくることができました。
これもスティービーのお陰。

途中で寄ったコンビニの駐車場が満車で、おったまげました。
海の近くなのでおそらく釣り客かと。すごいねー。

つげの櫛

2005年10月28日
つげの櫛
先日修学旅行の引率で東京方面へ行きました。
これは、浅草の仲見世で買ったつげ櫛です。
にぎわう仲見世の中、オモチャの刀やかわいい系のキーホルダーなどに群がる子どもたちを尻目に、先生は目の飛び出るような価格のつげ櫛を凄い目つきで見定めていました。

……と、思われたかもしれない。くくく。
目の飛び出る価格っていっても、2000円台です。まぁ十分高いお値段ですけど(汗)。

いいつげ櫛が欲しかったんですよ。
髪がすっとまとまる、と聞いたもので。
それ以来髪をとかすのはいつもこの櫛です。

ブラシはとても機能的だけど、髪をとかすための道具でしかないよねー、って感じがしませんか。
櫛でとかした時よりも時間はかからないんだけど、そこに気持ちもこもらないよなーなんて思ったりします。
最近気づいたこと。これ。

つげ櫛のときは違いますよー。
鏡に向かって櫛を入れるとき、「きれいになれよ〜私の髪ちゃん!」なんてことを考えてる自分がいますもんね。
これで髪をとかしているときは、自分もしっとり落ち着きます。一瞬ですが。

しかしこれ、ストレートヘア限定かもしれない…もしかすると。

< 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 >