忘れる

2005年5月18日
昨年勤めていた学校の4倍ぐらいの規模の学校に、今います。
母集団が大きいだけあって、学校の設備が広く、整っています。
しかし、母集団が大きいということは、それだけ私が関わる子どもの数も多いってことなんですよね。当たり前ながら。
おかげでとっても忙しいです。

で、忘れました。
朝に職場の洗濯機をセットし、退勤直前になってふと洗濯物のことを思い出し、あわてて洗濯機から取り出して干しました。
子どもがじゃんじゃん保健室に来るので、すっかり忘れてました。
暮れなずむ保健室で洗濯物をいそいそと取り込む私を、ニュービーズの香りが優しく慰めてくれました。

ニュービーズはすずらんの香りです。
というより、すずらんがニュービーズの香りなんですよ。
高度経済成長期以降の人間としては。あは。

ふりかける

2005年5月17日
ふりかけ。

むかし筑紫哲也のニュース23で、異論反論オブジェクションのコーナーのテーマが「あなたはごはん派?パン派?」だったことがあって、
その中で「ごはん」と答えた幼稚園児の男の子がその根拠に「ふりかけがすきだから」と言っていたことがありました。
かなり笑った思い出。

ごはんをそのまま食べることが苦手な私は、朝食の時にふりかけが必須です。
先日某ふりかけ詰め合わせを買ったら、捨て味なし!どころか、この種類ほとんど全て捨て味!?と思わせるような味でした。
朝からマズいふりかけを食べていると、ただでさえ低いテンションが底知らずの勢いで落ちます。
さっそく今日、マトモなものを買い直しました。

あと、欲しくなかったけど捨てられないおまけもあります。
ハローキティのシールととっとこハム太郎のシール。
どっちもふりかけを買ったら付いてきました。
い、いらない(汗)。

化粧づく

2005年5月12日
普段(=仕事のとき)は殆どノーメイクな人間です。眉だけ書いて出かけます。
今いる学校の教育補助員さんのナチュラルかわいいメイクを見て「あぁ、あんなにかわいく自然にできたらな」と思い、
週に1回来校される外部講師の方の大人っぽいコンサバなメイクを見て「あぁ、大人っぽい化粧って素敵だな」と思いながらも、
いざ自分が化粧するとなると、朝のあわただしい時間にそんなことやってられっかい!という面倒くさがりな意識が頭をもたげてきます。
それにそれに。
大学出たてで化粧オンチの頃に1回きちんとメイクをして出勤したことがあったのですが(文化祭の日でした。保護者がいっぱい来るし…と思って気合が入ってました 笑)、寄ってくる子ども数名に「先生、怖い!!」「先生、顔が変!!」等々言われたことが苦ーい思い出として残ってもいるので、「失敗するならやらない方がまし」という意識も依然としてあります。
しかし、最近にわか化粧フェチをやっていて気づいたことがあります。
丁寧にやればやるほど、やわらかなメイクになるんですね。
時間がないとつい、要所要所を重点的にやろうとして、出来上がった顔を見ると狙ったつもりのない厚化粧になってしまうんですよね。

ということで、化粧は時間があるときにやります。
今日は定時に退勤したので(大部分の職員が一斉の会合に出席するので、学校がカラになるから定時に出てね、って言われたのね)、突如時間ができました。
帰宅してから、フルメイクをして香水もつけて近所のスーパーへ買い物に行きました。やることが過剰。
しかも歩いてスーパーに向かう途中で自宅に米のストックがなかったことに気づき、買った米袋を下げてえっちらおっちら帰ってくるという結果になりました。
寄り道もできないや。

化粧が「非日常」の代名詞になっています。
今日は手の届く範囲で「非日常」を追い求めてみました。アハ。

余談
コンスタントに読んでる個人HPの日記に「最近充実しすぎて日記が書けません」という旨の記述があったのを読んで、プッと吹き出してしまいました。なにか、見てはいけないものを見てしまったような気がして(笑)。
結構多いですよね、この種の記述をする人。
適性という言葉が一瞬頭をよぎります。文章への適性ね。
胸のうちを日記に綴ることを心のよりどころにしている場合、日常生活が充実して心のよりどころっていう言葉自体どうでもよくなってくると、日記を放り出してしまうと思います。日常生活が楽しいですからね。
で、そもそも俺なんてこんな文章チョロチョロ書いてる奴じゃないんだい!って、明るい自分を発見したりします。
一方、文章を書くことが趣味ですというような場合は、常に「何かネタないかなぁ」というモードなので、充実してようがしてなかろうが、頭の中はあんまり変わらないと思うんですよ。
かりに忙しくてしょうがない状態だとしても、もともと文章を書くのが大好きですから、ちょっと空いた時間とか、休みの日とかにイキイキしながら書いてるんじゃないかと思います。
ただ、それは日記じゃなくてエッセイとかコラムに近いものがありますね。
ああ。これ、私だ。いひひ。
先日新潟に出かけました。書き留めておきたいことを書き留めます。

?妙な母と娘を電車内で目にする
新潟に行く時はたいてい実家の地元から電車で移動します。
私は、人が前にいるととりあえず観察せずにはいられないタチのようです。
この時も2人がけ座席に座ったのですが、ほどなく向かいの座席に座っている50代くらいの母+20代くらいの娘から目が離せなくなりました。
娘は妙齢であろうにもかかわらず、切りっぱなしの髪形にぼさぼさの眉毛に、ストッキング+ジーンズの組み合わせに、合皮の真っ黒な靴に…とにかく、「おしゃれには興味がないんですよ」という言葉は、この人のためにあるかのようないでたちでした。ちなみに顔はノーメイクです。
でも!その娘さんが肩から下げてたバッグがLOEWEだったのですねー。これがホントの一点豪華主義ってか。
で、先ほどから小難しい話をお母さんにしております。眉間にしわを寄せながらね。
ダークスーツを着た彼女のお母さんもさるもので、娘の話に「なるほどねー」と相づちをうつなんてたやすいことはせず、「事実と現実は意味が違うのよ」などと、なんだかイデオロギーめいた切り返しをしていました。お母さんもやはり、眉間にしわを寄せながら。もちろんお母さんもノーメイクです。
もしかしてこのお母さん、大学の先生とかじゃないかしらね?
難しい顔をしながら論議する母と娘。なかなかかっちょいいものがありました。
が、他を圧倒するかのようなその外見につい、眉毛ぐらい…化粧ぐらい…と、思ってしまうのでした。

?ちゃんぽんを食す
念願叶って、新潟の地で美味い長崎ちゃんぽんを食べることができました。
ソフトめんみたいにぶっとくてニュルニュルしてて、独特の匂いがする麺に、野菜のたっぷり入った海鮮とんこつの味がからみつく。
江山楼のちゃんぽんのように濃くてドロドロしたスープではなく(しかし、この店のちゃんぽんは長崎に行ったら必ず食べたい!と思わせる味でもあります)、かといってタンメンを連想させるようなあっさりしたスープでもなく、ちょうどいいトロトロ加減のスープ。
新潟でここまでおいしいちゃんぽんを食べられるとは幸せです。しかし私以上に彼のほうが喜んでいました(実は彼、長崎県人なのでした)。
ちゃんぽんって見た目で結構損をしてる料理じゃないかと思うんですよね。上品な盛り付けのラーメン類と比較しても、ちゃんぽんの具ときたらごちゃ混ぜだし。
でも、でも!美味しいですよ〜。ワタシははまった。一度お試しあれ。

麻雀占いをする

2005年5月9日
名前をひらがなで入力するだけで、あなたの性格を麻雀の役に例えて占います!
http://www.wasp-web.com/uranainet/mahjong/main.html
上は一生に一度あるかないかの役満こと「九連宝燈」から、下は役と言っていいのかどうかもわからない「チョンボ」まで。

いろんな人の名前を入れまくって楽しみました。
彼は「一気通貫」。ちょっと配牌がよければいける役です。中途半端です。
私は「四暗刻」。配牌のよさ+コツコツ地味に組み立ててゲットする役満です。しかし役満とはいえ結構地味なので、暗い印象が否めない(笑)。
とある麻雀大好きな同僚の名前を入力して判定したら「平和」でした。いちばん上がりやすい役の一つ。ということは超安い役でもあります。
「あれだけ入れ込んでるのに平和かよって感じじゃない?もー安すぎ!!」と爆笑する彼に対し、
「いや、平和に始まり平和に終わるんじゃないの?麻雀って…」と、とりあえず無駄なフォローを入れてみました。
これ、おもしろいですよ。ホホホ。
「あたし、彼氏ひとすじだから♪」と、自分の一途さを主張する人たちを日常でもネット上でもよく見かけます。
彼氏ひとすじなんじゃなくて、彼氏ひとすじと言ってる自分にひとすじなんだろっ!てことは、もう周知の事実だと思うんですけど(知らぬは本人ばかりなり…)、この言葉って効き目あるんでしょうかね。
「あぁ、あんたたちってホント、ラブラブだよね〜」と思わせる効き目。

はるか昔、ウブな時分は信じていました。
「いいなぁ〜〜!こんなカップルの彼女は、彼のために手づくりのセーターを編んであげたりして!」
情報の少ない人の想像なんてこんなものです。いわば恋人プレイへの憧れですな(笑)。
そんなわけで、女子の「彼ひとすじ」発言にはいちいち心ときめいていました。

でもさ。
それなりにいろいろ見聞きして経験した現在だと、あんまり響くものがないんですよ。こういうことを言われても。
彼ひとすじであることは、普通なら他者に主張する必要がないことなんじゃないか?と思うんですよね。
それなしにはカップルは成立しませんから。基本条件てことで。
いや、「ラブラブ教の自己開発セミナー」みたいな場面があるのなら、枯れない泉のごとくじゃんじゃん主張していいと思います。とにかくね、彼ひとすじを主張する個人を目の当たりにすると、よからぬ心配をしてしまうことが多々あるんです。
「こいつ、言いふらさなきゃいけないほど自分らが仲良くないのかしら?」
「こいつ、彼ひとすじな心が揺らいでるから、自分に言い聞かせてるんじゃないの?」
邪推ってやつです。でも結構当たります。
あと、「運命の出会い」とか簡単に口に出すようなカップルもすぐ破局しますよね(笑)。

カップルをやってる以上、ラブラブに見られたいのは当然と思います。でもそこで自分の愛しっぷりをしゃべくるのでは芸がないし、そもそも大人だったら誰も信じてくれません。
むしろ、普段はラブラブのそぶりもひとすじのそぶりも見せず、「あんたたちうまくいってるの?」と聞かれて「あーもうダメだね!いつ破局するか楽しみにしていてください!カッカッカ」と笑い飛ばしながらやり過ごしているような人に出会うと、「あぁ、この人たちは仲いいのね…」としみじみ思ったりします。
あるいは、「くそばばーになる前に出会いが欲しいわー。まったくもぅ」と言いながら、その後に実は彼と8年越しの付き合いの末結婚して、満面の笑みをたたえたウエディングドレス姿の「結婚しました」ハガキが届くっていうようなシチュエーションもオツです。「こいつ、だましやがったな!ラブラブのくせに!!」なんて思ったりね。

彼氏ひとすじにしろラブラブカップルにしろ、他者に話すときは冗談めいた卑下をかました方が信憑性も好感度も上がると思います。
いや、恥ずかしくってもう。ヌケどころ無しにストレートに言うことなんてできなくないですか?
そのかわり、二人きりの場面になったらここぞとばかり直球でガンガン行きたいもんですね!

妄想する

2005年4月27日
いつもの通勤途中、学校に向かって歩く集団登校の小学生集団を見て通り過ぎながら、今日はなぜか物思いにふけりました。
あ、いつものように安全運転は欠かしませんでしたよ。

「なぜ、みんな学校へ行くんだろう??」
学齢に達してる子どもって、学校行くのが当たり前だもんなぁ。
勉強するのが当たり前なのか。
学校が面白いところだと、子どもにとっても生活が楽しいわけだ。やっぱり。
学校がイヤーなところだったら、イヤだろうなぁ……。

という、至極当たり前だけど大事なことをぼやーっと思っているところに、たまたま聴いてたジェームズブラウンのライブCDから「Soul Power」が流れてきました。
知る人ぞ知る不気味なイントロ。まぁ、すぐにいつものJB節+ボビーの「はいはい、それからどうした」みたいな合いの手の曲調になるのですが、この曲のイントロはともかくおどろおどろしいです。

で、それを聴いてて連想した「学校とは」。
校門で魔物が待ち構えていて、登校してくる子どもたちを次々にとって食ってるようなイメージを妄想してしまいました(笑)。
こわーい!
あわてて頭の中に×印をつけ、次の曲の頭出しをしましたとさ。

Tシャツを買う

2005年4月26日
春夏用のジャケットが欲しひ、と思って退勤後ユニクロへ。
ちょっと出張があって、とか、今日は来客対応があって、とか、
そういうときにジャケットがあると、なんとなくきちんとした雰囲気になり、下に着ているもののボロ隠し(凹)にもなってとっても重宝です。
と言いながらも、私はちゃんとしたジャケット自体金ボタンの紺ブレザーが1着あるだけというまさに一張羅状態でした。
5月から新しい職場へ行くことだし、いくらなんでも紺ブレばかり使い回し過ぎだ!と思ってベージュの春夏用ジャケットを購入。
1000円引きで2900円!やりぃー。

しかし、この時期のユニクロ。
Tシャツの季節が始まっておりました!
Tシャツの季節が始まっておりました!!
Tシャツの季節が始まっておりました!!!

超うれしー。先週給料が出たばかりということもあり、頭の中は既に衝動買いモード。
ユニクロのTシャツって馬鹿にできないですよ。
それどころかデザインを公募したり、アーティストの作品をじゃんじゃん採用したり、外国の有名どころ(なおかつ、「わりと通なところ」というのがミソ。)と業務提携したりと、年々パワーアップしているので、もう夏はユニクロのTシャツから目が離せないという状態です。
しかもほとんどが1枚1000円。
ですが、「デザイン云々よりもブランド名が入っていないとイヤなの!!」という方々には縁がないかもしれませんね。笑。

へたうま系のイラストTシャツを買いました。
頭の中では既に「次は何買おうかなー」モード。
夏よ来い!!

わが子が育つ

2005年4月26日
という疑似体験なんですけど。
植物が育ってきています。
メロンとトマトは買ったときから元気だったのでいまいち育ち具合がまだよくわからないのですが(健康な子どもの悲哀 笑)、そのうちぐぐん、ぐぐんと伸びることでしょう。

キッチンの窓際で育てているラディッシュは、ただいま発芽ラッシュです。あと2〜3日すれば、間引いた苗をかいわれ大根として食べることができそうです。楽しみだ。

ゼラニウムはどうなったかといいますと、私は以前にも経験があるのですが、植物が外気の厳しさに負けそうになっています。
花をにぎやかにつけ始めてはいるのですが、ってことは自宅アパートのヨーロッパ化計画に一役買っているのですが、室内で元気だった葉っぱ達が次々に灰色じみた色になってきています。まだ1週間経っていないのにですよ。
外気の厳しさに触れて「おいら、もうダメ…」と言ったか言わないか、くすんだ緑色に変色したゼラニウムの葉っぱを見つめ、「もやしっ子たちよ!!」と心で叱る私。
まるで、家の中で健康に関するウンチクをひけらかしつつも外に出た途端に風邪をひく子どものようです。
と言いつつ、そもそもの原因は外に出さなかった大人にあるんですけど(焦)。
でも、よく見るともやし小僧たちは前からあった葉っぱばかりでした。
変色した葉っぱの根元から、きれいな緑色の葉っぱが次々に出てきているのを今日発見しました。
それはまるで外界の厳しさの中で生まれ「え、これって普通じゃないの?」と言っているかのよう。
温暖な室内でのみ美しさを誇っていたもやしエリート達には、この上ない屈辱の言葉です。
うーむ。生え始めたこのちっちゃい葉っぱが元気に大きく育てば、そんで新しく花なんかもつけちゃえば、この物語は完成するんだけどなぁ…。

って、何を盛り上がってるんだか(笑)。

夢を見て笑う

2005年4月25日
なんだかわかりませんが、寝ているときに夢の中で誰かが変な言葉を言ったので大爆笑しました。
夢の中で大笑いしているうちに、気持ちが高ぶって目が覚めてしまいました。

そのままストンと眠れるはずもなく、笑いがこみ上げてきて吹き出しました。起きても爆笑していました。
すると隣りで寝ていた彼が目を覚ましました。
「んん?」
「夢で、超面白いこと言った人がいて、夢の中で笑ってて、……うははは!ぎゃはははは!ブヒ(←鼻で息を吸った時にブタ鼻になった)」
「あそ、俺、合コンに出てる夢見てた…Zzz」
こみ上げる爆笑にヒーヒー言いながら、再び眠りました。

けさ、彼を起こそうとしたら
「夢の中で笑うなんて。。バカが。。。」と寝言のように言っていました。不快だった様子。
「ごめんごめん。おかしくって、あの時は」
「栃尾のね、…」
「はぁ?」
「栃尾の中学で仕事することになってね…油揚げを買って帰ろうって思ってるんだけどね…でも毎日お店が開いてる時間に寄ることができなくてね…仕事が遅くてね…」

彼はだいぶ現実に即した夢を見ていたようです。

バレる!

2005年4月23日
前の職場の歓送迎会がありました。
懐かしい方々にお会いしながら、「やっぱり古巣はいいですわぁ〜」などと月並な言葉を発しそうになる自分。
地域の方々と職員の方々にビールをしこたま注がれ、食べてる暇もなく飲み続けてはしゃべり続けました。
騒がしい宴会の席なので、通常の声では相手に聞こえません。終わる頃にはノドがうすら痛かった。

私自身酒は弱い方ではないのですが(かといって強い方でもないのですが)、ここの地域における飲み会ではいつも危機感とか覚悟とかそういった種類のものを感じながら臨んでいました。
ううっ、もうちょっと飲んだら目が回るよぅ!何か食べなきゃ!ってな感じでした。

その後職員だけで2次会を行い、リラックスしながら飲んで歌ってはじけ、近所に住んでる職員の方に自宅まで送っていただきました。同僚1名も一緒。
車中で同僚いわく
「ボク、駅で降ろしてもらっていいですか?」
「なーに言ってるんですか。ともこさんの家までお送りしますよ。」


同僚と私は絶句。
口から心臓が飛び出そうになりました。
同僚と私が付き合っていたこと(つまり、日記に度々登場していた「彼」とは、この同僚のことだったのですが…)がバレてたんですね。
私「し…知ってたんですか??」
職員「知ってますともー。近所だからわかっちゃいました!ずっと前に駐車場に車が2台止まってたのを見つけてさぁ。2人ともウチの学校離れちゃったから、もう話しちゃってもいいかな?って思ってね。」
うわーうわー!!!
どうしよう!ってか、どうしようもない!!

今日の飲み会を回想。
そういえば、こんなことを言われまくってました。
「なんかキレイになったんじゃない?」
「いつもと違う感じがする。心境が変わるようなことでもありましたか?」
「なんか色々な噂が飛び交ってるみたいだけど?」
「いい報告待ってますよ!」
「お幸せにね!あ、まだちょっと早いか!?」
なんだよーもう。どこまで話が伝わってるんだよ……トホホ。

とりあえず、今まで内緒にしてくれてたことにお礼を言い、もーほんとに心からお礼を言い、彼と車を降りました。
ここで彼が機転の利いたことを言ってくれればよかったのですが、私よりも酒が得意ではない彼はそのとき既に悪酔いの境地でした(汗)。

側溝に顔をうずめてもがく彼とキレイな夜空をかわるがわる見ながら思いをめぐらし、そして帰宅後。
「バレたよ…!!」とたじろぐ私に対して、
「バレたねぇ!!でもまぁ、いいじゃん!これからも仲良くしようね!」と、あっけらかんと返答する彼。
こいつ、つくづくO型な奴だ。

Xデーは今日きました(大げさ 笑)。
職場にバレたということは、公の仲になるための準備を心得なければいけないわけで…
でもこれからは公然としたカップルでいられるかも…
しかし、そもそもどこまでバレてるんだろう、この話…

身の引き締まる思いでした。
でもその割にはすぐに眠りにつきました。
苗を植えたい季節になってきました。
ベランダ菜園にも憧れるし、ヨーロッパの観光地のような
家のベランダや窓際に色とりどりの花が並ぶのにも憧れます。
ということで今年は両方やってみちゃおうかな。
手すりがあるだけの状態よりは広いけど、洗濯かごを置いて洗濯物を干すような広さにはとっても足りません。うちのベランダ。

なにを植えるか。
ゴーヤーとかズッキーニとか、とりあえず妙な野菜を育てて食べてみたいという私の希望と、
「俺スイカかメロンがいい!俺の好きな食べ物だから!」という彼の希望がみごとに食い違いました。予想内でしたけど。
うちのベランダには昨年育てて食べてそのあと枯れたままになってたナスの鉢とミニトマトの鉢が1つずつ、出番を待っていました。
ぶら下がったまま収穫を忘れられたナスとミニトマトが冬を越してミイラのようになっていました(汗)。

そして今日、仕事を早く切り上げてホームセンターに直行。
ずらーっと並んだ苗とか種とかに興奮しながら、結局トマトの苗とメロンの苗(2種類)、それからラディッシュの種を買いました。

帰宅後、ワクワクしながら植え付け作業。
広く浅い段ボール箱にゴミ袋を切り開いてつくったビニールシートをかぶせれば、室内でもその中で土いじりができます。
あまり手伝わないどころか興味がなさげの彼をつかまえ、その態度はどういうことかと問いただしました。
「うー、俺、土いじり苦手…だって俺、食べることの方が好きだもん…」
それを言っちゃあおしまいよ的な模範回答が返ってきたので、一瞬脱力しつつも、それならこっちは土いじりに専念させていただくよ!と夕飯の洗いものを彼に任せ、作業を続行しました。
手作りの支柱も立てて、できあがり!
ちっちゃいプランターはキッチン脇の窓辺に置き、ラディッシュの種をまきました。
台所園芸だっ!う〜ん心のうるおい。

家の中で花を咲かせていたゼラニウムの鉢もベランダに出しました。
真っ赤な花がきれいです。葉っぱにさわると手がくさくなるけど。

うちにはまだ空きプランターと出番を待つ土たちがいます。
今度は何を植えようかな♪
ようやくパソコンに疎い方々にもその名を知られるようになった「ブログ」。
いまや個人HPはブログの世界ですよね。ということを昔チャットで話したら「そもそも個人が書き連ねたもの自体をブログというのだから、ブログそのものは昔からあったのだ」と軽くお説教をくらったことがありましたが、ともかく個人でHPを開設することがとてもカンタンな世の中になりました。
前にも似たようなことを書きましたが、カンタンに自分ワールドを公開できるということは、全世界ネット放送の「俺(あるいは私)コーナー」ができるということです。
エロい映像やグロい映像を載せると制限をかけられてしまう可能性もありますが、文章をつらつら書くだけならanytime/anyone/anythingほとんどオーケーな世界です。
チャットや掲示板も隆盛を極めています。
こちらは、自分の表現(そんな大層なものではなくても、何か言いたいーとか)+「誰かとつながりたい」という欲求にかられているのかもしれませんね。
人によっては「誰かとつながりたい」どころではなく「だ、誰かとつながりたいぃぃいぃ!!」という欲求がひしひしと伝わってくることもあります。
ここ近年、自分を含め多くの人がこういうネットでの表現+コミュニケーションができる世界にどっぷりはまっております。

でね、最近また気づいたことがあります。
なりたい自分をネット上で上手に表現している(と分析されちゃってる時点で「上手」なのかどうなのか??という疑問は置いといて。ちょっと笑うけど)人が多いって話は前に書いた気がします。
自分を表現するには、まず自分のパーソナリティーを自分で言わなければなりません。俺ってこういう人だから、私ってこういう人だから、という言葉遣いがここ数年でものすごく普及化した背景には「だって、ネットだと自分から言わなきゃわかんねーもん!」という意識があったことが大きいんじゃないでしょうか。
俺は○○なやつなので、とか、私って○○だから、という表現が自分ワールドの第1歩となります。というわけで生まれた最近の自称天国(笑)。
自称破天荒くんとか自称バカとか自称カッコメンとか自称マニアック系とか自称のほほん系とか自称恋愛至上主義とか(ちなみにこういう人は、実質面では恋愛至上主義よりもむしろ恋愛体験依存症といったほうが近いかもしれないね。ぎゃは!)自称小悪魔ちゃんとか自称Sとか自称Mとか、うんぬんかんぬん。
いっぱい見たことがあるでしょう。みなさんも。

で、自称で称する「ネットで出す自分」と、日々寝て食べて働いて勉強してる「素の自分」の差がどうしても気になるわけです。
たまに、すごい差だ!と感じるブログに出会うと「あんたさぁ!」と心で突っ込みつつも「やっぱり人間だよね〜」と笑っちゃうわけです。
抽象的過ぎて何を言ってるのかわかりにくいですね。
例をあげます。
☆「のほほん人間」とブログで言いつつも、他人の言動がいちいち気になったりちょっとしたことにイラついたりする記述が多く、心が休まってないのねぇと同情したくなるような人。のほほん人間は同時に鈍感人間でもあるので、あんたの対極です。
☆魔性の女(最近すごく多いのでこの国にはそのうち呪いがかかるかもしれませんよ。笑)とブログで言い、自分の上を通り過ぎていく男との経験を語る人(男ではそういう人あんまりいないですね)。それも、日々語る人。日々だよ!あんた、魔性とか言ってるわりには毎日更新するなんてマメじゃん!!
ミステリアスな魅力を毎日毎日コツコツと読者にお届けしている姿が可憐に見えます。ぷぷぷ。
☆ちょいグロで人工的でプリティーな魅力(アナスイみたいなのを想像してくださいね)を演出しつつも、実際に会うと「お前、前世は草食動物だったんじゃないか??」と聞きたくなるほどあっさりのっぺりとした外見の人。自分に欠けているものを渇望する姿勢が素直すぎるほど素直です。

こういう、自己表現をしながらどこかでコケている人を目の当たりにすると、「かわいい!」って思いませんか?
なんかこう、隠したいけどついつい素の自分が見えてしまってる姿と重なって、「それでも俺(私)はこんな人になりたいんだよー!!」という心の叫びや頑張りが伝わってきます。だから、あたたかく見守りたい気持ちになったりするんですよ。
でも、もちろんそこで本人に「あんた、なりたい姿に向かって頑張ってるね!」と言おうものなら平手打ちをかまされるかシカトされるか玉砕攻撃のメッセージが来るのがオチでしょう。
だって、それが図星だから。うひひ。
本人にとっては、あたかもそれが素の自分であったかのようにネットで自己表現するのが目的なわけですから、「自己表現を(難しいながらも)頑張ってるね!」というような泥臭い評価は絶対受けたくないのではないでしょうか。

先の人々が評価されるとすれば、例えばこんな評価だったら喜んで受けると思います。
「あなたってホントにのほほんとしてて、あなたのブログを読むたびに心が休まります。癒し系だねぇ。」
「あなたのミステリアスな魅力にはまってみたいよ。魔法と媚薬の力はどんな男に効くのかな?」
「ちょっと残酷で超ヵヮィィ♪今度ゎその濡れた瞳でぁたしを誘惑してくださぃね☆」
無理無理。無理(笑)。こんなこと言えませんて。
だって、素のあなたが文章のすき間から見えてますよ。

自分の伝えたい個性を思い通りに相手に伝えるのって難しいですね。
でも、相手の伝えたい個性をそのまま感じることも同じぐらい難しいんです。にやにや。
長文失礼いたしました。

花見に出かける

2005年4月18日
あまりに、あまりにきれいな夜桜を見て、涙が出そうになりました。

小雨が降って肌寒い中、花見に行ってきました。
私の住んでいるところは日本三大夜桜で知られる某所です。
なので、ここに住んでから毎年、この時期になると夜桜を見に行きます。

ふと昨年を思い起こしました。
例年よりもずっと早くサクラが開花し(「桜」よりも「サクラ」という記述の方が無機的で学名チックな気がするので、気象台の開花宣言にはこちらの記述の方が合っている気がするのですがどうでしょう)、花見シーズンには既に花ふぶき状態でした。
知り合ったばかりの彼とまだ付き合う前に初めて一緒に出かけたのが、昨年の花見でした。
手もつながず、そぞろ話をしながら桜並木を歩き、寒くなってきたのであったかいところに行きましょうかなんて言ってファミレスへ行き、付かず離れずの話をしながら気がついたら午前4時になっちゃってたりして、あの時は「いまが正念場!!」と思って必死だったなぁ。うふふ。

今年は最高の咲き加減でした。
どこもかしこも満開!!
花ふぶきが散る前の、花をごっそりと付けた桜を眺めることができました。
ソメイヨシノって、花をいっぱいつけるから普及化に成功したんだったよねー、なんてことを思い出しました。ほんとに花がいっぱい咲くもんです。
しだれ桜の優雅な姿も満喫できました。商店街とかに飾ってある例の飾りはしだれ桜がモデルなんだなということを発見。
とにかくきれいで、豪華で、すごくて、胸にじんと来て、冒頭のような気持ちになったわけです。

桜に目をつけた日本人ってやっぱり並のセンスじゃありません。
1本で咲く桜も存在感があって好きですが、どうだー!とばかりに幾重にもわたって押し寄せてくる桜も好きです。
「ここに座ってしゃべったよね」「ここで焼きそば買ったよね」等々、1年前の花見を思い出しながらいろいろしゃべり(もう、そぞろ話で時間をせっせと埋める必要もありません)、カユい気分になりました。
すごかったなー、桜。
今の職場の歓送迎会に出席しました。
私は迎えられる立場にいたわけですが、送られる側の立場の人、
つまりこの3月までうちの職員だった人の中に、なななんと高校の同級生がいたんですね。
男子の(ここがミソ)。

初めての再会です。心躍ってました。
頭の中では小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」が大音量でたれ流し状態。
ふたりで目が合って、ドキドキしたりしないかしら!?
彼氏との間で心が揺れたりしないかしら!!??

高校の時から変わらぬ爽やかないでたちで登場した同級生のあいさつが始まりました。
地域の方々には本当にお世話になりました云々のことを言った後、
「ここは僕自身にとっても思い出深い地になりました。といいますのも、
ここでの在職中に結婚をし、子どもができて……」

目をひんむく同級生1名(俺)。

たしかに彼は爽やかで明るく、真面目で、どこに出してもおかしくないような人です。
であるが故に、さっさと結婚して落ち着いた人生を送っていたということですね。
なるほど納得。

2次会の席でなつかし話に花を咲かせました。
相手が結婚してるとわかると、妙にさばけた空気でしゃべることができますよね。
その同級生を送り出したあと、彼に迎えに来てもらいました。
「同級生の人さー、結婚して子どももいたんだよー!なんだかびっくり。」
「ともと同い年でしょ?まぁ、普通じゃねえの?それぐらい。」

インプレッサの中で語り合うマイペースな異端児2名。

春がくる

2005年4月14日
「なんでグラウンドに川が流れてるんだよ!!」
ハイ、これを踊る大捜査線の青島くんのように言ってみましょう。

私の職場にも、よーーーやく春が来ています。雪原だったグラウンドが雪原じゃなくなってきました。
しかし中央に流れるというか澱んでるというか、ともかくグラウンドを真っ二つに分ける川があります。
おい。ここ、グラウンドだぜ。
綺麗に真っ二つに分かれてるものを見ると、「分水嶺」というような普段思いつきそうもないような言葉が突然思い浮かんだり、
あるいは「川を越えたむこうはあの世の世界で……」といったあらぬ空想を膨らませたりしてしまいます。

で、うちの小学校の至近距離に中学校があるんですけど、そこからもこのグラウンドと川が見えます。ちょうど、グラウンドをはさんだ位置になるんですよ。
てことは!
中学校の窓からその川を見つつ、
「あの川を越えるとあの世の世界になっちゃうみたいな感じがする……」と思っている先生が(いや生徒かも)いるかもしれません。
両側から眺めたら、あの世がこの世でこの世があの世!!
う〜んミステリアス。
というよりは暇人のヨタ話レベル。小学生の空想レベル。
「もしも水飲み場の蛇口からジュースが出たら!!」のレベル。

ああ。ようやくこんな文章が書けるようになってきました。
ゆとリズムがほしいなぁと痛感する年度始め。
いま酒井順子さんの書き下ろしエッセイ「入れたり出したり」を
読んでいます。
さすが高校生の時からコラムを書いていただけのことはある。まったくもって日本語が巧みです。
時々言葉を知らないオレっちには難解な言い回しも出てくるので、日本語の勉強になります。
しかし一番の魅力は、その乾き切った世界観でしょうか(笑)。
愛だの恋だの色気だの、そういう雰囲気がこの人からは微塵も感じられません。
彼女の通ったあとには草も生えまい。げげー!!
尊敬しているにもかかわらずこんなことを言ってしまいました。

いや、なんていうの、ホラ、
自分をよく見せたいという、かわいい子だなとかちょっとおちゃめな女性なのねとか、あぁこいつってドジだなとか、そういう欲望がほとーんど感じられないのです。
のっけからウンコの話を淡々としてらっしゃいます。
モノがたまって捨てられない状態の家を「家便秘」とサラッと言っておいて、その言葉の可笑しさにしがみつくこともなく次の話題にひょいひょいと移ります。
そういうところに巧みさを感じているわけです。

彼女のような人がいる一方で、男受けはいいでしょうけどかわいさが丸見えの文章も、市中にはいっぱいあるわけです。
女としてプラスに見られるための計算っていうのかしら?
いやいや、計算というのも最近違和感を感じたりするんだけど。
女を感じさせる言い回しができる人ってのは普段からそういう人であることが多いですよね。
だからこれは、計算ではなく習性に近いなと。
モテようと計算してる時点であんたは乾いた側の人間ですよねと。そう感じたりするのです。

で、以前知り合い(男)に「あんたって、ほんとにドライな人だよね。」と皮肉タラタラに言われたことのある私としては、やはり乾いた人間なりの魅力を自分から引き出そうかと思っておるわけです。
そんなわけでお手本が酒井順子さん。
ワンワンと「負け犬の遠吠え」をして一発儲けたこの方は、恋のから騒ぎに出場する女性とは真逆のイメージを感じます。
文庫本の表紙カバーの裏に彼女の顔写真が載っていたのですが、淡々とした端正な顔立ちでした。
微笑むこともなく眉を整えることもなく、流行りの濡れ目メイクをすることもなく、自分自身だけで勝負してる気概を感じます。
いや、勝負とすら感じてないかも。
写真?いいですよ。はい。パシャ。ってな感じ。

読んでて大爆笑したコラムを彼に見せました。
だんだん眉間にしわが寄ってきて、読み終わって一言。
「つまらん。だから何?って感じ。」
あぁやっぱりこの人はメインストリームを突っ走る人で、ちょっとウェットな今時の人なのだなと感じた一瞬でありました。
お久し振りです。
日記を更新します。

年度末&年度始め&異動が重なり、ちゃぶ台をひっくり返したような忙しさでした。
自炊の回数は加速度的に減り、疲れた体で彼と向かう定食屋では
疲れているもの同士で話し始めるからケンカばかり。
そんな最近だったのですが、今日久し振りに夕ごはんを家で作って食べました。
「あぁ、ゆとりが戻ってきたかも♪」と幸せになるひと時。
疲れきった人間にはマッサージをする手間もアロマテラピーをする手間もとれないのです。

で、新しい職場の話です。
この1ヶ月だけ、とある片田舎に通勤しています。
前も片田舎だっただろって?……まぁそうですが、通勤距離が短くなったもんね!
片道25キロが片道19キロになりました。
まだ遠いじゃんって?……交通の便が段違いによいのです(キッパリ)。
ちなみに彼はこの4月から大規模の中学で採用になったのですが、通勤距離は28キロからたったの2キロになりました。近すぎちゃっても困るやね。

とりとめのない話題ですが、ひとまずこの辺で。
どわぁぁああぁぁぁーーー。
忙しいよおおおおおおおおおお!

つぶやく(教育系)

2005年3月18日
そもそも私は子どもと接するのが苦手だったのですが、教育実習を経験してから子ども大好き人間になりました。

おもに小学校で働くことが多いのですが、子どもが好きで好きでたまらない(それも常ににじみ出ている)小学校の教師集団や、わかる授業をトコトン追求する姿勢や、子どものいいところや可能性をトコトン探す姿勢を小学校で見ているうちに「小学校ってサイコー!!」と思うようになりました。

で、それを母校の高校の先生に話しました。だいぶ前の話ですね。
そしたら「でも、高校もいいわよ!」と返答されました。
いわく、高校生に対してはこちらが目線を下げなくとも、同じ視点でものごとを考えられるから、等身大の自分で一緒に人生を考えることができるのよ!とのこと。
ときには対教師、対生徒の役割を越えて一人一人の人間として向き合える魅力を語っていました。

いちど、中学で働いたことがあります。
きめ細かな生徒指導や相談体制に目からうろこが落ちました。悩める時代の子たちをチームで一丸となって支える先生たちを尊敬しました。
「授業研究は小学校に学べ、生徒指導は中学校に学べ」という言葉はホントなんだなーと感じました。
アンバランスな時代の子たちにしか表現できない素晴らしさや輝きってあるんだよ、そんな子たちと毎日接することができるなんてほんとに幸せ、と何かの本で中学校の先生が言っていました。

以前小学校で一緒に働いた友達が保育士の免許を取り、保育園で働いています。
給料は小学校にいたときよりも安いけど、でもこの仕事すっごく面白いと彼女は言っていました。
凄い勢いで心も体も成長する幼児期の子に対して、母親よりも長い時間を一緒に生活している保育士。言葉をしゃべったとか歩いたとか、そういう子どもの発達と一番最初に出会えるんだよ!と力説。
たしかに。毎日が感動なんだろうなぁ。

これらの職場を免許状1枚で渡り歩ける私の職業(ただし採用があればの話ですが…汗)に、ちょびっとだけ誇りをもっています。

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